『ダンスマカブル』がエモすぎて、語彙力を喪失しましたが|前編
こんにちは
4月から社会のイヌになる限界オタクです。
記念すべき2記事目(実質1記事目←)UPできて良かったぁぁぁぁぁ
今回はアイドリッシュセブンで現在開催中のイベント『復刻ダンスマカブル』について好き勝手に語っていこうと思う。
(※イベント内容についての考察や感想は、すべて筆者の一意見です。あくまで二次創作物のような感覚で楽しんでいただければ幸いです)
ダンスマカブル……………………。
ダンス・マカブル……………………。
死の舞踏……………………。
うううぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ……
「「取り上げる内容として、ヘビーなのでは?」」
と思いつつ、復刻以前ストーリーを読んだ後に発散できなかった感想が………もうわんさかなので………
勢いに任せて、いま語りたいので語ります(!!!???)
「ダンスマカブル」とは?
「ダンスマカブル」といえば、PV最後に七瀬陸さん扮するクオンが言っているように「死の舞踏」という意味なのですが………
(((((死の舞踏とは・・・・・?))))
【ダンス=(舞踏)】と【マカブル=(死について)】という2ワードで成る言葉ですが
そもそも「ダンスマカブル」とは、中世ヨーロッパから伝わる教訓のようなものなのらしい。
中世ヨーロッパといえば、人種差別や戦争、流行病など……大きく歴史が動いた時代。
その激動の時代のなか、ストレスによりヤケになって踊り狂う人々が多発したことが語源になっているそうな。(なるほど…)
“memento mori(メメント・モリ)”
中世末期になると、「ダンス・マカブル」は“memento mori(メメント・モリ)”という思想として、教訓として芸術題材になるようになります。
“memento mori”とは、ラテン語で「死を忘れるなかれ」という意味。
「これは【自分の死】を忘れるな」ということなんですねぇ・・・・・
少し話は代わりますが、自分はミュージカル観賞が好きでよく観るのですが、ダンスマカブルを読んでいく中で『エリザベート』という作品が自分の中で「死の舞踏」という言葉とヒットした。
この作品は、主人公エリザベートとトート(死)がエリザベートの生涯を通じて恋愛バトル(言い方←すみません)をする話なのですが・・・・・
「「いや、死との恋愛バトルってなに!?!?」」
って話なのですが(笑)・・・
トート(死)を拒み続けてきたエリザベートですが、最終的にはトート(死)を愛し、黄泉の国へ誘われます。
(そう…!そうなの…!これが言いたかった…!)
「死を愛する」のです!!!!
自分はこの作品を観て、人が生涯を終えるとき…
それは「死を愛するとき」…言い換えれば「自分の人生を愛したとき」
……なのではないかと感じた…
愛と死の輪舞
大分話はそれてしまい…すみません……。
『エリザベート』の副題は「愛と死の輪舞」
うわあ……ダンスマカブルウゥゥ~……(←ゴーヤチャンプルーみたいにいうな)
イベント『ダンスマカブル』の主題歌「My Precious World」に
という歌詞があるのだが
そう………
「死を忘れるなかれ」
(永遠は不自由なんですね・・・・・・・。)
リーベルとアルムの“生きざま”
八乙女楽さん演じる主人公リーベルや、亥清悠さん演じる天子ことアルム。
リベアルこと、お2人に共通していえることとして、「どんな状況下でも、光を失わない」ということが言えると思う。
人はいつか皆滅びゆくものだけど、だからこそ本当に自分が求めているものを手に入れるために今を生きる2人は本当に美しいですよねえ…
ここまで深いイベント…アツいすぎる!!
今回なにが言いたかったかって、いろいろ他にもあるのですが‥‥
とりあえず今日はここまで!!!
なかなかヘビーストーリーですが、ジャブとストレートの練習をするアルムとフーガ
爆発に快感を感じているクウラ(個人的にライブでクウラのカードを使うといちいち爆発音流れるのがツボ)など、ところどころ微笑ましい(?)シーンなんかもあって、心が洗われます…
キャスティングや衣装、後半の流れなどについての感想だったり…また昨日から始まった後編の内容も踏まえて、後日『ダンスマカブル感想文・後編」を書きたいと思います!!!
なにはともあれ、こんなに深い内容をコンテンツ内の一イベントにしてしまうアイドリッシュセブン・・・・・・・・
マジで凄い・・・・・
(↑これに尽きる)
後編もたのしんでいきましょう…!!!(メンタル…;;)
全然関係ない話ですが、セリアのミニ色紙入れとアルムの色紙の相性が良すぎて……かわいい……
最近の100均は、明らかにオタク需要意識してますよね!!!???