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Photo by
nikumori
畏れる心
人間とは、不思議な生き物だ。
人間は、1人では生きていけない。
人間と動物と植物と、生きていく必要がある。
それにも関わらず、それらを壊してしまう。
大切なものほど、いつの間にかに破壊してしまう。
人間は、遅れてくる影響を考慮することが苦手だ。
身体感覚をもって考えやすい、短い時間軸の中で判断しがちだ。
しかし、人間にしか出来ないこともある。
それは、見えないものを見ることだ。
過去について思い悩む。
未来について想いを馳せる。
すべて、今この瞬間には見えないものだ。
しかし、その本人には、その姿が見えている。
人間は、悩み、苦しむ存在だ。
悩み苦しむから、信じるものが求められ、宗教が生まれた。
これも、見えないものを見ることができるから生まれたものだ。
古代の人は、世界に対して「畏れる」という感覚を有していた。
なぜ雨が降るのか、洪水が起こり、火山が噴火し、
飢饉で人は死んでしまうのか。
理不尽なほどの現実に対し、何者かの存在を想定し、
「畏れる」しか対処方法がなかったのであろう。
しかし、である。
いま、世界の真実がひとつずつ明らかになっていく中で、
世界のことを分かった気になっていき、
この「畏れる」感覚は失われていった。
すべての真理が分かった気になってしまうことほど、
恐ろしいことはない。
本来、子供の出産ひとつとっても、
生命から、生命が生まれてしまう、
明らかに人間の理解を超えている現象としかいいようがない。
しかし、この世界が生まれたときから、
この仕組みは、この世界に組み込まれていたのだ。
こんな身近な事例一つとっても、
この世界は驚くべきことだらけだ。
そうして、目の前の存在が、生命が、
いかに不可思議な存在であるのか、その事実を直視したなら、
自然と「畏れる」という感覚も芽生えてくるのかもしれない。
なお、このとき「神」などという概念を持ち出す必要はない。
その存在がいま生き、存在している、
ただその事実を観察するだけでいいのだ。
微細に。明瞭に。純粋に。
そうしたら、
大切なものを壊してしまうことは減るのではないか。
人間は、世界に優しくなれるのではないか。
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