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科学、芸術、霊性を経て。
僕は元々、サイエンス(科学)が大好きだ。高校時代、年に数回しか入らない図書館にたまたま入った時に見つけた、赤い雑誌Newtonの表紙に書かれていた言葉「ゼロから始まる宇宙」は忘れられない(ちょうど微分積分でゼロと無限大について学んでいた)。
そして20代後半の頃、色々とうまくいかず(思い通りにいかないと思っていた)、外のことをあれこれしようとすると、なおうまくいかず、内的な探究に行き着いた。この先には、スピリチュアル(霊性)と呼ばれる世界があった。これも知らない世界だったし、実家のワンコの死に関するそういうたぐいの体験を経て、神秘体験と呼ばれるものにも傾倒した。
そこから更に時が流れ、芸術領域にいる。3年ほど前だろうか。ドイツのハノーファーで出会ったジェームズ・タレルの作品を忘れられない。科学や霊性のように知らない世界を教えてくれるというよりも、自身の認知自体を一瞬で変えられてしまう体験に(この作品でいうと、光の認知)、魅了されてしまった。
こうして考えてみると、結局僕は、その当時の自分にとっての何らかの「衝撃的な体験」が起点となり、人生が形作られてきている、と気づく。もっというと、「未知と出会いたい」「知らない世界と出会いたい」、ただその欲求に駆り立てられていたのだと思う。
では今どうかというと、科学も霊性も芸術も、全部好きだ。すべてがこの世界の認知を、見え方を変えてくれる。僕は、この世界に、もっと驚きたい。この世界にもっと触れて、戯れて、驚愕したい。それを他者と共有し、みんなで笑い、驚きながら、この世界を生きていきたい。
ここまでたどり着くと、なぜ僕がこの世界での人との接点として(これを仕事と呼ぶ)芸術領域を選んだのかの答えにたどり着く。以前、先輩アーティストにぼくのいう芸術は、「共に目撃する装置としての "芸術" だよね。」と言われたのだけど、そういうことだろう。
そう、みんなで、もっとこの世界に驚こう。宇宙でも、生命でも、神秘でも、日常でも、なんでもいい。この世界は、やばいし、やばくて、やばいのだ。
(この記事は、屋久島家族滞在二日目の朝に書きました。)
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「芸術家として生きる」と決めてからの日々
芸術のげの字も知らなかった素人が、芸術家として生きることを決めてから過ごす日々。詩を書いたり、創作プロセスについての気付きを書いたり、生々…
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