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「アートの力を感じました」と言われて。
屋久島で、kodou のイベントを開催させて頂いた。後日、島で夕食を食べていたら、偶然参加者の方とお会いした。体験から数日が経ち、「先日の時間、いかがでしたか。」と伺ったら、次の言葉をいただいた。
アートの力を感じました。
本当に、感動しました。
あの場(森の中のカフェカフェ)で、夜とアートを組み合わせた先日のような時間は初めてだと思います。
先日も別のイベントで、「芸術でしか、引き出されない感性があるんだと思いました」という言葉を頂いた。芸術家として、これ以上ない感想である。そうあってほしいし、そうあれるように願っているので、泣いて喜ぶ言葉でもある。
一方、「アートに力はあるのか」という問いを考えると、とても難しい問いであることに気がつく。アートは何か、力とは何か、それはあるのかないのか、考えざるをえなくなる。
僕は、アートそれ自体には、価値も意味もない、と考えるタイプだ。尊敬するアーティストの大先輩に、アートそれ自体について聞いたことがある。「何十年もアートに関わってきたが、いまだにそれが何なのか、価値や意味があるのか分からない。」という言葉をもらったこともあるし、「アートに、意味がないことは自明だ。」という言葉をもらったこともある。
ただひとつ、アートの定義にまつわるとても好きな表現に出会ったことがある。世界的に活躍している、写真家・現代芸術家の杉本博司氏の言葉だ。
アートとは、技術のことである。
眼には見ることのできない精神を物質化するための。
僕は、アート作品それ自体に意味や価値があるのではなく、アート作品と鑑賞者が出会う、鑑賞という一連の体験の中で、「精神」と呼ばれるような何かが呼び起こされてしまうことがあるのではないかと考えている(この「精神」には、アート作品の「対象の精神」と「体験者の精神」双方を意味している、と僕は解釈している)。
僕自身が、そういう現象が起きる作家でありたいと強く願う。だからこそ、「芸術でしか、引き出されない感性があると思った」「アートの力を感じた」といった言葉は、こういうことを感じていただけたようで、とても嬉しい。
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「芸術家として生きる」と決めてからの日々
芸術のげの字も知らなかった素人が、芸術家として生きることを決めてから過ごす日々。詩を書いたり、創作プロセスについての気付きを書いたり、生々…
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