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創造する場を、つくりたい。 #デジタル断捨離 1日目
アーティストとして活動を初めて3年。次の3年のことをもやもや考えている。
アーティストとして世界で活躍したいと思ったら、乗り越えなければいけない山がある。3年やったからこそ、その山の高さが分かるようになった。正直、才能も努力もある超一流の方々がしのぎを削っている世界に、自分が本当に入っていけるのか、入っていきたいと思うのか。
正直、悩んでいる。
その道にいくことを決めるなら、光の専門家の元で修業をするか、大学院などに通い直すなどして、基礎を徹底的に学ぶ必要がある。もちろん、自学自習もできるはずだが、現状僕はそれをしていない。
その道を歩むと決めるのか。それも、創り手としてなのか、プロデューサーとしてなのか。この分岐は、僕の未来を大きく変える。
一方、僕が憧れる世界の人たちにはできない、自分だけの才能があることもわかってきた。ソーシャル領域やデザイン領域で働いてきたからだけど、多様なメンバーが集うカオスの中、集合的な意図のようなものを汲み取り、何か一つのプロジェクトとして形にすることはとても得意だ。
東日本大震災のの現場に身を沈めた経験は、今の僕の血肉になっている。
この自分の才能やスキルも活かしていきたいと思う。ただ、そればかりやっていては、結局、光の世界に向き合いきれない気もする。高い専門性を持った光のアーティストを目指すのか、光に限らない様々な作品を創るアーティスを目指すのか、アーティストと同時にソーシャルファシリテーターのような形で活躍する道を選ぶのか。
正直、分からないし、迷っている。
ただ、ひとつだけ分かっていることは、これらの区分は、概念に過ぎないこと。僕の本質はおそらく、「創造する場」を創ることであり、「生まれてしまう瞬間」に立ち会うことにある。どの在り方も、そこの関わり方の違いに過ぎない。
ただ、現実問題として、山の登り方には差異がある。これから、僕はどうやって生きていくのだろう。分からない。でも結局、最後は概念ではなく、「何を創り出したいのか」というシンプルな問いに立ち返ることになることだけは分かっている。
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#デジタル断捨離1日目
facebook messenger を除くすべてのSNSと、youtube をみることを辞めました。最低一ヶ月は、完全に辞める予ので、その間にどう変わっていくのか、楽しみ。
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「芸術家として生きる」と決めてからの日々
芸術のげの字も知らなかった素人が、芸術家として生きることを決めてから過ごす日々。詩を書いたり、創作プロセスについての気付きを書いたり、生々…
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