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見過ごしてしまう思い
時間に追われていると自分と向き合う時間というか、自分というものの優先度が0に近くなってしまう。
いつまでに何をしないといけない、という生活は慌ただしいものだ。
とはいえ、山奥で自給自足しているわけではなく、今、社会の中で人と仕事しているのだから時間という契約を守らなければどんな仕事も崩壊してしまう。
noteやブログなどの文章を書く事も自分と向き合ってこそ出てくるので、顧みれずに過ぎ去っていく日々の思いなどは時間が経つと溶けてなくなって残骸だけが澱のように心に溜まる。
もう秋だ、というかもう年末といってもいい。
今年は本当につまらない。日々にわくわくしない。
お花見に始まり、夏祭り、花火大会、ライブ、フェス、ハロウィン、クリスマスなどなどの普段はどうでもいいと思っていた催し物がない。
そのイベント自体はどうでも良かったんだと気づいた。そうやって人々が楽しんでいる、生を礼賛している空気や活気が好きだったんだ。
日々の思いは非日常のハレの日に昇華され、明日を生きる糧になる。
心に溜まった汚泥が流れ去る日はいつになるんだろうか。
いつかみんなのこころが限界になってダムが決壊するような気がして怖いのだ。