ポケットモンスター ミソジニー/ミサンドリー
ポケモンには進化したら可愛くなくなるというジレンマがある。初めはぬいぐるみのような愛くるしい姿だったポケモンも、進化を重ねる度に可愛らしさとは程遠い大きくてゴツゴツした見た目に変わってしまう。「進化キャンセル」とは、その進化が始まった画面でBボタンを押すことで、ポケモンの「進化」を強制的に止め、もとの可愛らしい姿にとどめておく機能のことである。なんと、便利なことだろう。
しかし、人間の子育ての場合はそうもいかない。 人間は「進化」こそしないが、第一次性徴・第二次性徴を経て「子ども」から「男」や「女」へと成長する。この成長は不可逆であり、Bボタンで元に戻すことはならない。
だが、進化の最終形としての「成人男性」は母親である女性にとって大抵「気持ち悪く危害を加えてくるような存在」であり、成人女性は「自分を脅かすライバル」である。 つまり、「可愛くない」のだ。
子どもがまだ小さな頃はあれこれと本を読み漁り、栄養バランスに気を遣った食事を与えていた母親が、子が10代に差し掛かったあたりから雑な夕飯を作るようになる。子がある程度大きくなってからは子の世話や家事に手を抜くようになるというのは珍しい光景ではない。
単に子が細心の注意を必要とする年齢でなくなったからかもしれないが、ここにはもっと深い問題が潜んでいるように見える。
端的に言ってしまえば、うっすらと子の完成形が見え始めるからではないだろうか。
思春期に差し掛かった娘の要請を拒否して、娘にブラを買ってあげないという母親が一定数存在するらしい。膨らみ始めたバストを保護して成長をサポートする側面を持つブラジャーを与えないことで、娘は体育の更衣で恥ずかしい想いをしたりバストトップの透けをからかわられたりと社会的なストレスを受ける場合もある。他の衣服や食料はきちんと与えているにも関わらず、ブラジャーだけは「まだあなたには早い」と言って与えなかったり、そもそも必要を口にすることもできない空気を出すような親も珍しくないようだ。
そこには娘の成長への否認が露骨に見え隠れしている。
そういった支配的な母親にとっては子が可愛いのは小さいうちだけなので、女の体に必要な下着を与えないことで子の成長を拒んでいるのではないだろうか。その時母親が娘に与えるメッセージは「女にはなるな、女の子であれ!」である。娘が女になってしまっては、(少なくとも自分より遥に若さをもっている点で)自分の女としての立ち位置を脅かす存在になる。
可愛いとは、「愛す可し」と書く。この「べし」はきっと、可能の助動詞「べし」なのだ。
ペットやアクセサリーのように自分の人生の引き立て役的な存在としての子どもしか愛せない親にとって、成長し脅威となってしまった子どもはもはや可愛くはない。ライバルとなり、脅威になることを恐れて、そして愛せなくなることを恐れて、娘にはずっと子どもでいることを望むのだ。
それはまるで、幼体が大抵一番可愛くデザインされているポケモンの進化を止めるために、Bボタンを連打する進化キャンセルみたいだ!
私の周囲の引きこもり女子を観察すると、みんな普通以上に可愛いし性格も良くて清楚で男性経験も乏しい、絵に描いたようないい子である。そして、ほぼ例外なくお母さんにべったりである。
彼女達の引きこもりは社会からの「女であれ」という要請と、母親からの「子どもでいて」の要請のダブルバインドに苦しんだ挙句、後者を取った結果のように見える。
また男の子に関して、母親は息子がオシャレをしたり女性に興味を持つことをからかったり(「色気づいちゃってw」)、彼女ができたときにその彼女を貶めたりすることがある(あるいは逆に「あんな可愛い子がアンタなんて好きになるはずがない!騙されてる!」という形をとることもあるようですが)。
これは男性嫌悪ゆえに可愛い子どもが男になるのを防ぎたい欲望もあるが、息子を他の女に取られないためでもあるだろう。
非モテ男性が異様に自分には性的魅力がないと主張したがるのはこういった母親の態度に由来しているのではないだろうか。彼らは自分が不細工であるという前提を必死で守りたがりつつも、その上で「結局は顔」という帰結にも同時にこだわっているように見える。
服や髪型や肌の適切なアドバイスにも「どうせ元が悪い俺は何をしたって〜」とデモダッテで返すのは、たとえ条件付きであれ母の愛情を失うのが恐ろしいからではないだろうか。また、母の愛を疑いつつも信じたいがために認知を歪め、母親を異性に投影して攻撃をしかけている可能性もある。
男も女もこのような親に育てられた元・子どもたちは
「大人にならないよ、だから好きでいてねママ!」
と自らの性を抑圧して子どもに留まることを選ぶピカチュウである。
しかし、子どもでいることを選んで親の支配下に居続けたとしても、いつまでも親は変わらない。子の人生が思わしくない時は「こんなはずじゃなかった」「大切に育てたのに」などとため息をつかれ、子が順調に人生を歩んでいる時でさえ良くてせいぜい「我が子を医学部に入れました」などと他のポケモンマスターとのポケモンバトルに利用されるのがオチである。
子どもたちはみんな、窮屈なモンスターボールの外側の世界に飛び出していく必要がある。
そのために、かつて親が押していたBボタンを今は自分自身で連打していることに気付かなくてはならない。