錬金術師と狂犬症候群(レイビース・ナイト):20

 仕事場に戻った錬金術師は背中に担いだ『フラスコ』を急いで下ろすと、そちらに繋いだ配線を通して中にあるデータを早速機材に転送していた。その片手には携帯端末も握られていて、慌ただしく通話相手に向けて声をあげている。
「連絡がつかねえってどういうことだよ、お前仕事仲間だろあいつの」
「そんなのこっちが聞きたいわよ!電源切ったまま携帯どっかに置いていくなんて、そもそも考えられないし!」
 通話の相手は緋芽だった。理不尽に怒鳴られていることが腹立たしいのか、錬金術師よりも彼女の方が語気は荒い。無理もなかった、通話が繋がったと思いきや、何の説明もなく第一声でいきなり彼女――充琉のことを聞かれたのだから。
「てか、どういうことなのよ充琉を呼べって!何か分かったんなら説明しなさいよ!」
 データの転送が完了したのを確認すると、錬金術師は端末をハンズフリーに切り替えてデスクの上に置く。通話に専念している余裕はない、このまますぐにでも『仕事』を始める必要があった。幸いにしてパーツとして使えそうな材料も『フラスコ』の中に液状化して保存されているのは目の前のコンピュータの画面で確認出来ている。
「分かったなんてモンじゃねえ。落ち着いて聞けよ――犯人はあいつだ」
「犯人……って、充琉が?」
「そうだ。『狂犬病兵』の仕掛けを手に入れてマキナを暴走させ、今までの事件を引き起こしたのはあいつの仕業だ」
「そんな、まさか……!」
 受話器の向こうで緋芽が絶句しているのは分かるが、彼女の心情を慮ってもいられない。上着を雑に脱ぎ捨てた錬金術師の背中から無数のメカアームが展開し、『フラスコ』が設置された機材へと液状化した材料を送り込んでいくのを確認するとすぐにそのメカアームが加工を開始する。その作業を続けながら、錬金術師は目を閉じて説明を続けた。
「恐らくガード役のマキナがメンテに出したまま戻って来ねえことも、最初から計算のうちだったんだろうよ。動作不良が偶然だったのか仕組まれたものかどうかはともかくとして、そのメンテ先で『狂犬病兵』の仕掛けのテストに使うつもりだったんだからな」
「テストでメンテ担当の技師を殺させたっていうの!?」
「口封じのついでにな。気心の知れてる相手だってんなら、仕事場の近くのどこに防犯カメラが配置されてるかだって知っててもおかしくねえ。だから身を隠して近くで仕掛けを起動させたんだ。そして、テストは無事に成功した」
 メカアームが作り出しているその形状は、コンピュータのディスプレイに映し出されている『犬笛』だ。サイズとしては片手に収まる程度のごく小さなものだが、その中に仕掛けを発動させる信号の発信機も仕込まれているので構造は非常に緻密だ。急いでいるとはいえ雑な仕事は出来ない。『手元』が狂わないように細心の注意を払う必要がある以上、緋芽への配慮は二の次に回すしかない。
「『クレッセント』のホストたちに仕掛けを施すのも、楼亜が心配だからって名目で頻繁に顔を出してるあいつなら不可能な芸当じゃねえだろ。あのお人好しのオーナーが、幼馴染を疑うはずもねえしな」
「でも、アンタたちと一緒の時に充琉だって襲われかけたんじゃ!」
「ああ、暴走状態の『狂犬病兵』が見境なんかつけられるわけもねえ。だが俺に止められることも、あいつは分かってたんだろうよ。いや――止めてもらう前提で仕掛けをあの時発動させたんだ」
「止められる前提?」
「そうだ。あのストーカー女、美歌が逃げようとしたタイミングに合わせて仕掛けを動かすこと自体が目的だったんだからな。そうなりゃ、あいつが逃げるための時間稼ぎにマキナを暴走させたんだと誰だって考える」
 あの時、美歌が店に無理やり押し入ろうとしていたのはきっと初めてではなかったはずだ。実際充琉の対応は早く、彼女を取り押さえる動きも手慣れていた。それ故にSP役のマキナにも仕掛けを施しておく必要があることを早めに判断していたのだろう。次に彼女がやって来た時に備えて。
 そこで錬金術師が動いていることを知った充琉は、その状況を利用することを思いついた。いつものように取り押さえた彼女が逃げ出す隙をわざと作って、目の届かないところで仕掛けを起動させ、敢えて目の前でマキナを暴走させる。一度暴走して見境がなくなったマキナは下手をすれば自分や楼亜をも殺しかねないから、その前に誰かが止める必要がある――そう、マキナの構造などに詳しい人物に。
 そこで錬金術師は体よく利用されてしまったのだ。暴走するマキナから自分たちを守る盾として、そして美歌に疑いが向くようにするための目撃者として。
「じ、じゃあ何でそのストーカー女を殺したのよ。そのまま罪を着せて生かしておけばどうにでもなったじゃない!」
 緋芽の声が上ずっている。無理もない、仕事仲間が犯人だと聞いて冷静でいられる人間などいるはずもないのだから。しかしその答えもすでに明白ではあった。
「どうにでもならねえさ。朱纏が気付いちまったからな、ガード役のマキナのメンテが終わってねえことに」
「それ、どういう……」
「お前が俺に話して、俺は朱纏に話した。そしてあの仕事場の惨状がようやく明らかになった。充琉のガード役のマキナが『狂犬病兵』になっちまったことが。となりゃ朱纏が黙ってるわけがねえ。呼び出されればその話になるのは決まってる」
「で、でもその時黙ってれば別に」
「お前、あいつの前で隠し事したままでいられるか?あのプレッシャーを前にしてボロも出さずに堂々と知らん顔出来るか?」
 返答はない――朱纏の抜け目のない頭の切れと、一たび自分に害をなす相手と見定めた時の容赦のなさを思えば、彼の前で嘘をつくことは並大抵の芸当でないことは緋芽も易々と理解出来るから。
 ましてや充琉本人が自分に言ったのだ、『この件に関わっていることは内緒にして欲しい』と。そこは間違いなく突っ込まれるし、追及の手が及んだ時に果たして知らぬ存ぜぬを通せるはずがない。真相がバレるのも時間の問題だ。否定する材料は思いつかなかった。

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