初めはみんなテレパシー遣いで言葉を使わなくても直接思いを人に伝えることができていた。 ところが言葉が使われるようになって、そのテレパシー的能力はなくなっていき、情報伝達手段は言葉が主流になっていった。 当初は話し言葉だけだったのが後に文字が発明され、人々は脳に情報を記憶しておく能力が少し衰えた。 話し言葉が文字になるという事は、情報が物資化されるということ。 大量の物質化された情報の処理と蓄積を「技術」が管理するようになった。 その代わりに人々の元来の能力はますます衰えた。
「自由と責任はセットです」 ということは自分で責任を取れる範囲のところは自由なのか。 ということは「全部自分で責任を取ります。 全部全部全部です」っと言ったら 全部全部全部の自由がやってくるのですね。 うむ。 じゃあ世の中の多くの人は小ちゃい自由に甘んじているのですね。 だってよく「あなた!責任をとってください!」 とか「自己責任ですよ!」とか言って自分じゃない人にいろいろ押し付けてますから。 ところで責任って何だ?
空と空。 空(くう)。 空っぽだけど空っぽじゃない。 いつでも何かを生み出す可能性を秘めた空。 わたしを包み込む空。 天高く広がる宇宙。 「こんなの欲しい!」と思いを投げると ささっと形にして投げ返してくる。 そしてわたしの内側深くにも広く深く広がる空。 ぽーんと問いを落とすと さーっと結晶化して答えを投げ返してくる空。 そんな天と地の間に立っている。
子どもの頃はあれもこれもやりたくて そして、やりたいと思った事は何でもできた。 できないなんて考えは存在しなかった。 なのにだんだん まわりの声にひっぱられるようになり うまくできなくなっていった。 「そんなの無理な話だ!」 「もっと頭が良くないとできないよ」 「お金持ちならできるかな」 etc‥。 何でそんな声に耳を貸してしまったのか? 外側の騒音がわたしの邪魔をする。 「子どもの頃にもどってごらん」 内側からそんな言葉が聞こえてきて ようやく我にかえりました。 そうだ!
こんな事が可能になったらどんなに楽になるだろう? と思っているとまさにそんな技術や製品ができて世の中に広まって これで楽に快適に暮らせるだろうと思いきや なぜか今までより一層忙しく働かされ 欲を刺激され 「もっともっと」を求められる。 大変だ、これは大変だ。 するとまた便利で素晴らしいものが普及して‥‥。 この繰り返し。 いつ終わるのでしょう? 良く観察してみると その便利なものや素晴らしい技術は わたしたちの能力をどんどん奪っているようです。 わたしたちはどんどん退
何時になったらあれをしよう これをしよう と時間管理をして生活しているはずが 気づいたら主従が逆転して 時間がわたしを支配していました。 なんてこった! 壁に掛けていた時計を捨ててみました。 何とも言えない開放感がやってきました。
「みなさんそうしていますよ」 と言われたら 「あぁ、そうですか」 と返してみる。 「世間のみんな」が言うことは 正しいのでしょうか? 本当に? 「まず疑え」 と聞こえてきました。
街に出ると いや、朝起きた途端にまた 生産と消費のサイクルに飲み込まれる。 「こんな事をいつまで繰り返す気なの?」 どこからともなく言われました。 ありがとう。 そうだよね。
苦しい。とても苦しい‥。 「だったら、そのたくさん着込んでいる服を脱いだらいいのに。」 と内側の人に言われました。 子どもの頃に、お父さんやお母さんに着せられたものや みんなが着てるからと真似して着たものもたくさんあるでしょう。 大人はこれを着なくてはというのもありました。 知らないうちにとんでもない重ね着をしていました。 こんなにたくさん着込んでいることにも気づいていませんでした。 なんだ! 脱げばいいんだ。 わたしは今、一枚ずつそれらを脱いでいるところです。 そ
本当にそれが欲しいのですか? 本当にそれがしたいのですか? その欲を満たすと 最終的に得をするのは誰でしょう? 欲を点検してみると本当のことがわかります。
「この囲の中にいれば安心です」 本当でしょうか? 息苦しくありませんか? 何かが違う気がしませんか? わたしの仲間はいませんか?
ねぇ これは自分発かな? 誰かにやらされてない? 「やらされ続けると脳みそを乗っ取られてしまうよ」 と内側の人が教えてくれました。
「なんにもしてないのに怒られた」 と言ったら 「なんにもしないから怒られるのだ!」 とまた怒られた。
少し休んでもいいですか? 少しだけ生きてるのをお休みしたいのです。 お休みの連絡を頼めるお友だちはいません。 どうしたらいいですか?
こんにちは。 どこかにわたしの仲間はいませんか? と言っても、徒党を組みたいわけではありません。 ほんのりその存在を感じられれば良いのです。 わたしはこの世の中に、間違えて生まれてきてしまったと思っています。 いや、多分そうなのです。 ずっとずっと生まれてから今まで、この世の中になじみ切れたと言う実感を持てたことがありません。 いつも何かが違っている。 なんだかいつも噛み合っていない。 ずっとそう思って生きてきました。 でも最近ふと聞こえてきた声が教えてくれました。 「お前が