
結局DEIとはなんだったのか?~隆盛と凋落の背景を紐解く~
NASAまでもがDEI推進部署を閉鎖。トランプ第2政権がはじまって加速する反DEIの動き。結局DEIとはなんだったのだろうか。蜃気楼のように霞みつつある世界を席巻した理念を今ここで一旦振り返る必要があるのではと思いました。
序論
DEIとは何か、改めて定義する
ダイバーシティ(多様性)、エクイティ(公平性)、インクルージョン(包摂性)の頭文字をとった「DEI」は、2010年代後半から企業や組織において重要視される概念となった。
ダイバーシティ(Diversity) は、性別、年齢、人種、民族、宗教、性的指向、障害の有無など、多様な背景を持つ人々が組織に存在することを指す。単に「違い」を認めるだけでなく、その違いを価値として捉える視点が重要である。
エクイティ(Equity) は、すべての人が公平な機会や資源にアクセスできる状態を意味する。「平等(Equality)」が全員に同じものを与えることを目指すのに対し、エクイティは個々の状況や必要に応じた適切な支援を提供することで真の公平性を実現しようとする概念だ。
インクルージョン(Inclusion) は、多様な人々が組織の中で受け入れられ、尊重され、貢献できる環境を作ることを指す。ダイバーシティが「多様な人がいる状態」を示すのに対し、インクルージョンは「多様な人々が活躍できる状態」を意味する。
企業におけるDEIの重要性は、イノベーションの促進、市場理解の向上、人材獲得・定着の強化など、ビジネス面でのメリットに加え、社会的責任を果たすという側面からも注目されてきた。
記事の目的
本稿では、DEIがなぜ企業や社会で注目され、そしてなぜ近年一部で批判や後退が見られるようになったのかを多角的に考察する。また、今後DEIの概念がどのように発展し、企業や社会に根付いていくべきかについても展望したい。
本論
1. DEIの隆盛期
社会的な背景
DEIが企業や組織で注目されるようになった背景には、いくつかの社会的変化がある。
#MeToo運動やBLM運動の高まり : 2017年に本格化した#MeToo運動は、職場におけるセクシャルハラスメントや性差別の問題を世界的に可視化した。また、2020年に再燃したBlack Lives Matter(BLM)運動は、人種差別の構造的問題に対する意識を高めた。これらの社会運動は、企業にも多様性と公平性に関する取り組みを求める圧力となった。
グローバル化と多文化社会の到来: 企業活動のグローバル化に伴い、異なる文化や背景を持つ社員や顧客との関わりが増加した。多様な市場や人材を理解し、受け入れることが企業の競争力に直結するようになった。
SDGsの採択: 2015年に国連で採択された「持続可能な開発目標(SDGs)」には、ジェンダー平等や不平等の是正などが含まれており、企業のESG(環境・社会・ガバナンス)への取り組みの一環としてDEIが位置づけられるようになった。
企業における取り組み
DEIの重要性が認識されるにつれ、多くの企業が具体的な施策を展開した。
多様な人材の採用・育成: 意識的に多様なバックグラウンドを持つ人材を採用し、公平なキャリア開発の機会を提供する取り組みが増えた。採用プロセスにおける無意識の偏見(アンコンシャス・バイアス)を排除するための施策も導入された。
包括的な職場環境の整備: 育児・介護との両立支援、リモートワークの導入、バリアフリー環境の整備など、多様な社員が働きやすい環境づくりが進められた。
DEIに関する研修の実施: 管理職を含む全社員を対象に、アンコンシャス・バイアスの理解や多様性を尊重するコミュニケーションスキルなどの研修が実施されるようになった。
企業理念やビジョンへの組み込み: 多くの企業がDEIを企業理念や中長期的なビジョンに組み込み、経営戦略の一部として位置づけるようになった。
事例紹介
成功事例:グローバル企業の先駆的な取り組み
GoogleやMicrosoftなどのテック企業は早くからDEIに注力し、ダイバーシティ担当役員(Chief Diversity Officer)の設置や詳細なダイバーシティレポートの公開を行ってきた。たとえばGoogleは2014年から「ダイバーシティ年次報告書」を公開し、自社の多様性に関するデータと取り組みを透明性をもって共有している。
日本企業の取り組み
日本企業でも、資生堂、ソニー、日立製作所などがDEIを重視し、女性管理職比率の向上や外国人社員の登用、LGBTQフレンドリーな職場環境の整備などに積極的に取り組んできた。特に資生堂は早くから女性の活躍推進に力を入れ、2018年には女性執行役員比率が30%を超えるなど、日本企業の中では先進的な成果を上げている。
2. DEIに対する批判と反発
トランプ政権の影響
アメリカでは2016年のトランプ大統領就任以降、DEIに対する批判的な風潮が高まった。
ポリティカルコレクトネスへの反発: 過度に政治的に正しい言動を求める風潮への反発が強まり、DEIの取り組みも「行き過ぎた配慮」として批判されることがあった。
アイデンティティ政治への批判: 特定の人種やジェンダーなどのアイデンティティに基づく政治的主張が分断を生むという批判も高まり、DEIの取り組みもその文脈で否定的に捉えられることがあった。
企業における課題
DEIの推進には、実務的な面でもいくつかの課題が明らかになってきた。
短期的な成果を求める圧力: 多様性の効果は長期的に現れることが多いが、四半期ごとの業績を重視する企業文化の中で、短期的な成果が見えにくいDEIへの投資が疑問視されることがあった。
組織文化の変革の難しさ: 既存の組織文化や慣行を変えることへの抵抗が根強く、形式的なDEIの取り組みにとどまるケースも少なくなかった。
多様性と生産性の関係に関する疑問: 多様性が必ずしも生産性向上に直結するわけではないという研究結果も出始め、DEIの経営上のメリットに疑問が投げかけられることもあった。
具体的な事例
企業におけるDEIプログラムの中断や縮小
2023年には、テスラやXなど、イーロン・マスク氏が関わる企業でDEI関連のプログラムが縮小された。また、大手テック企業の一部でも、経済状況の悪化を理由にDEI専門チームの人員削減が行われるケースが報告された。
社員からの不満や抵抗
一部の企業では、DEIの取り組みが「逆差別」を生んでいるという不満や、多様性よりも能力を重視すべきだという主張が社内で高まるケースも見られた。2023年には米国の最高裁が大学の入学選考における人種考慮を違憲とする判決を出すなど、アファーマティブアクションへの法的な制約も強まった。
メディアによる批判
保守系メディアを中心に、DEIの取り組みを「ウォーク資本主義」(社会正義を装った企業活動)として批判する論調も強まり、DEIに対する社会的な反発を助長した面もある。
3. DEIの凋落の背景にある要因
長いものには巻かれろ的な組織風土
上層部の意識改革の遅れ: 多くの組織では、経営層がDEIの重要性を本質的に理解していないケースが見られた。形式的な取り組みにとどまり、真の変革につながらないことが多かった。
組織文化の根深さ: 長年にわたって形成された組織文化や無意識のバイアスは簡単には変わらず、新しい価値観の浸透が思うように進まなかった。
DEIの重要性に対する理解不足
短期的な利益優先: 多くの企業が四半期ごとの業績を重視するあまり、DEIのような長期的な視点での投資が後回しにされがちだった。
多様性のメリットに対する認識不足: 多様性がイノベーションや市場理解の向上につながるというエビデンスがあるにもかかわらず、その因果関係が十分に理解されていないケースが多かった。
ポリティカルコレクトネスへの反発
過度な政治的正しさへの批判: DEIの取り組みが時に過剰な「政治的正しさ」を求めるものとして受け止められ、現場レベルでの反発を招くことがあった。
言論の自由との矛盾: DEIの名の下に特定の意見や表現が制限されるという懸念が広がり、言論の自由との衝突が議論されるようになった。
経済状況の変化
景気後退や不況による企業のリストラ: 2022年から2023年にかけて、特にテック業界で大規模なリストラが行われ、DEI専門の部署や人員が削減されるケースが増えた。
DEIへの投資が後回しになる: 経済的な不確実性が高まる中で、DEIへの投資は「あったら良いもの」ではなく「必須ではないもの」として予算削減の対象になりがちだった。
4. 今後の展望
DEIの概念の再定義
より包括的で持続可能な概念への転換: 単なる数値目標や形式的な取り組みではなく、組織の持続可能性や競争力に直結する本質的な概念としてDEIを再定義する動きが出てきている。
多様性と公平性のバランス: 多様性を追求するあまり能力や実績が軽視されるという批判に応えるため、多様性と能力主義のバランスを取る新たなアプローチが模索されている。
組織文化の変革
トップダウンとボトムアップの連携: 経営層の本気度とともに、現場からの自発的な取り組みを促進する仕組みが重要になってきている。
長期的な視点での取り組み: 短期的な成果を求めるのではなく、中長期的な組織の健全性や競争力の向上というフレームでDEIを位置づける企業が増えている。
新たなテクノロジーの活用
AIやデータ分析を活用した人材育成: 採用や昇進におけるバイアスを排除するためのAI技術の活用や、多様性の効果を測定するためのデータ分析が進んでいる。
包括的な職場環境の構築: バーチャルリアリティやメタバースなどの新技術を活用し、地理的・身体的な制約を超えた包括的な職場環境を構築する試みも始まっている。
社会全体の意識改革
教育の重要性: 学校教育の段階から多様性や包摂性の重要性を教える取り組みが広がりつつある。
多文化共生社会の実現: 企業だけでなく、社会全体が多様性を尊重し、異なる背景を持つ人々が共生できる環境づくりが進められている。
結論
DEIは一時的なブームや企業のイメージ戦略ではなく、組織の持続可能性や競争力に直結する本質的な概念である。確かに近年、一部でDEIへの批判や後退が見られるが、これは形式的な取り組みの限界が露呈したものであり、本質的なDEIの重要性が否定されたわけではない。
今後のDEIは、単なる数値目標や表面的な施策を超え、組織文化の根本的な変革につながるものとして再定義されていくだろう。多様な人材が真に活躍できる環境を整えることは、企業の革新性や適応力を高め、変化の激しい時代を生き抜くための重要な経営戦略となる。
DEIの本質は「違いを認め、活かす」という人間社会の根本的な価値に根ざしている。その意味で、DEIは一過性の経営トレンドではなく、持続可能な社会と企業の発展に不可欠な理念として、今後も形を変えながら発展し続けるだろう。