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本は「黙っている人」のようだ

と思うことがあります。


大きな声で

面白おかしく

がなりたてる

テレビ放送に邪魔されて

本の存在感は

普段

身をひそめているようです。


じっさい、

本棚に納らていたり

枕元に積まれて

声を上げることはしません。


埃をかぶってしまうことが

誇り高いことだ

なんていう

寂しげなジョークも聞こえてきます。


お偉い人が

おおいばりで

ウソをついて

恥の上塗りをしつづけても

大声で 他人の悪口や屁理屈をいいつづければ

いつのまにか

まわりは あきれはてて

長いものに巻かれることを

えらんでしまうことが

おおいのです。


そんなとき

私は

黙っている本に

親近感を覚えます。

同時に

希望を見出します。


世間では

長いものに巻かれ

お金で買収され

欲望に負けて良心や教養をなかったもの(こと)にして

うまく生きているような気持ちになることもあるのです。

それを

単純に

責められるものではありません。


理想と現実の間で

人は悩み、せめぎ合って

だからこそ

そこに良心の価値があるともいえるのです。


ところが

NHKに代表される(劇場型ともいうべき)

大きい声のメディアが

時の権力に買収され、あるいは

おもねっている現在

小さい声は

ないがしろにされることになります。


善良性や良心を持って生きることが

正しいことなのか、

それで幸せになれるのか

悩むことにもなります。


そんなとき

やはり

小さい声を聞きたくなります。

本に頼りたくなります。


そこには

善良な魂や批評精神を持つという倫理が息づいています。


子どもたちは

戦争をヴァーチャルなゲームの中で体験し

その破壊のエクスタシーを

生きる楽しさと勘違いしてしまうおそれがありますが

それを

大人の権力者が

大きな声で肯定します。

否定する顔をしながら

肯定します。


賢明な子どもの命は

その人類と生命の危機を

ちゃんと感じていると信じたいですが

私達が子どもに用意している環境は

過酷なものです。


その子どもたちのためにも

私は

出版事業を営み

小さな声を伝え続けたいと思うのです。


小さな声

それは

善良に生きる地球市民の

国境や言葉の垣根を超えた

つながりがきっと支え続けてくれるだろうと

思います。


もしそうでなければ

人類は

核兵器のボタンを誤って押してしまう前に

猿に大政奉還したほうが

いいのです。



追伸

大きい声のメディアのなかにも

当然、小さい声の人が

根を張っている

その存在は

きっと未来をより良く変えてくれるだろうと

信じています


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