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お刀さんといっしょ①

 あなたの刀は何処から? 私は銘から!

 皆さんそれぞれ、刀に転ぶきっかけって色々ありますよね。地元で展示会をしていた、漫画で出てきた、小説読んでたら好きな登場人物が使ってた、ゲームやってたらハマった、家に元々あった……まぁ最後のは稀有な例かもしれませんが、入り口は色々で全然構わないと思います。
 そんな私にも刀好きの中の時代のようなものがありまして、そもそもの馴れ初めから途中のアツアツ期などがございまして現在に至る訳で……馴れ初めでも思い出してみようかなと思った次第です。


あなたの刀は何処から? 私は銘から!

 いえ、刀を見ていると確かに色々身体的にプラスな効果が出る事もありますが、風邪薬とかではないので健康な時に鑑賞しましょう。

 でも、そんな事は今だから言える、転んだあの頃は割と単純で直情だったんです。
 私が刀に転んだきっかけは、漫画と言えば漫画だし、それを原作としたアニメ作品でした。後々その原作漫画が大学で中世の軍事や武器に関する専門研究をなさっている先生に「あの漫画はガチ」と言わしめる事になるんですが、室町時代の終わりから戦国時代にかけてくらいの時代を舞台に扱った、全体的に言えばギャグ漫画です。ええ、殆どはギャグです。中心が忍術から逸れない事を除けば小学生が面白がって読む漫画でした。
 その漫画のアニメ化作品で、今は幻の1期と呼ばれる(らしい)当時の記憶も記録も殆ど残っていないと言われる時代の作品回だったのですが、主人公が仲間と敵の城主とその城の忍頭に捕まって成敗されようとした時だったかに城主が抜いた刀を見て「あー!名刀備前長船兼光!」と叫びます。
 今思うと「お前……茎も見ずに刀身だけ見て兼光だと分かったのか……景光でも長光でもなく兼光だと……(前の二人はそれぞれに時期でやや特徴が分かりやすかったりする)本阿弥家の血でも継いでるのか?」と思いますが、当時は「へぇ、刀って一本一本名前があるの?(゜ω゜)」くらいの印象でした。

 この辺がまだまだ浅いですよね(そりゃ小学3年とかだからな)
 それは作者の銘であって号とかの所謂「刀についている名前」とは違うものなんですが、響きが良かったのもあったのか、「びぜんおさふねかねみつ」という音の並びはすぐに頭に定着しました。自動的に「長船」の読み方も普通は中々触れないでしょうが、当然のように入ってきました。

 この頃から「名前がある」という認識により、何となく刀に人格性を見ていたのかもしれません。

 さっきのアニメのシーンに戻り、主人公三人組でやや説明的なというか、当時でも目が飛び出る程高い名刀であるという会話がされます。
 事実、作中の時代は室町の終わりで、時期的には応仁の乱を中心とした応永年間より後、日本刀の一大産地であった備前長船でも応永備前と呼ばれる隆盛期が来ていた頃で、兼光はそれよりずっと前、鎌倉中期からの長船一族の四代目に当たり、当時でも相当な高値で売られていた事が伺えます。最早銘だけで価値が付いていたくらいなのかもしれません。
 そうした感覚も新鮮だったのでしょうね。もっと幼い頃から日本昔ばなしに育てられてきたような私にとっては鍛冶屋というのはかなり身近な上に憧れの強い職業だったようで、当時の写真にもよく鍛冶屋の真似事をしているものが残っています(若干恥ずかしい……)
 昔ばなしにもそのアニメにも刀は結構出てくるけれども、名前がついていてそれで価値が決まっているというのがあるんだなぁと漠然と思ったものです。まだ他の骨董とかのジャンルに触れた事のない子どもですから、それが妙に格好良い、と思ったのだろうと思います。

刀にも色々ありまして

 その原作漫画やアニメでも度々「打刀」という表現で刀が出てきていましたが、戦乱が近かった時代だったのもあって「束打ち」という量産方法で生み出された刀を多くの人が持っており、地位のある人はより有名なもの、良質のもの、特別なものを複数所有している事が薄っすら描かれていましたし、逆に戦う事を中心の目的にしていない忍術を修める主人公達にとっての刀は「切る事も出来る金属の丈夫な棒」くらいの認知と扱いでした。
 彼らの使う刀(忍刀(しのびがたな))には反りがないのが一般的で(戦う事を目的としないので、戦闘上の機能は原則必要ない)背中に背負うのではなく腰に差して使いました。此処は一般的な打刀と同じですね。背負わないのは、背中に刀があると狭い場所に潜り込みにくく、転がると鍔が当たって痛かったり色々不便があるからです。あと順当に取りづらいですからね、背中にあると。
 もう一つ一般的な刀との違いは下げ緒の長さでしょうか。通常の三倍以上の長さがあり、ロープの代わりとして使う忍法が「下げ緒七法」として出てきます。その一つに、壁や崖などを登る際に使う「人馬の術」というのの最後で、残った一人は壁などに刀を立て掛け、鍔に足を掛けてそこを登るのですが、登った後に刀を回収するのに下げ緒を予め持っておく、という方法がありました。他にも室内で簡易の罠として足を掬う為の「用心縄」に下げ緒を襖や戸の下の方に引っ張って掛けておく、というのもあります。
 刀本体を戦闘の道具にしない独特の使い方がこうして色々出てくるのですが、その流れで刀の部位や部品名も自然と覚えていきました。
 下げ緒、柄、柄頭(柄尻)、鍔、切羽、三ツ頭……などなど。

入りは銘だったんだけどなぁ

 入りは確かに銘だったのですが、不思議と私はそうして実用面の刀やその周囲に触れていったので、所謂鑑定眼的な視線で刀を見るという事がなく、一振り一振りそれぞれ別の性能や個性を持った「刀」だと見るようになっていたのかもしれません。
 よく斬れる刀は良いものなのだろうと思いましたし、姿が美しいのも良いものなのだろうと思っていたと思います。勿論そこに作者の銘があって、それぞれに名前があるという認識はあったのですが、そこに改めて魅力を感じるようになるのは中学生になってからの事でした……。

 そのお話はまたいつか改めて……

 銘で刀に転んだ癖に鑑定目線を持てなかった小学生の話でした。
 嗚呼、三十年……今でも鮮明に覚えている「長船兼光」の名。いつか欲しいよね、兼光銘の刀(某所に偶然にも同じ銘の刀匠さんが現役でいらっしゃるから可能は可能なんだぜ!)



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