不思議にパリに繋がっていく話 その1
写真はパリ・オペラ座。
ここの夜のライトアップは、いつ見ても恐ろしいほど美しいです。
突然ですが。。。どんな方でも、抗えないご縁がある土地って必ず一か所はあるのではないでしょうか。
小さいころから意図せず導かれたり、人生のターニングポイントを迎えたり、奇跡の様な出会いや、思いがけないチャンスがおきたりする場所です。
私の場合、それはパリなのです。
自分でも不思議と見えない糸で操られているような錯覚に陥るのですが、、、それがやがて、私自身だけでなく自分のブランドMatsuyoiにもいろいろなマジックを起こすのです。
この私とパリの話を何回かに分けてお話ししたいと思います。
遡ること祖母の代からの話
写真は京都・花見小路。
私の母方の祖母は教師になるため、当時京都大学に行っていた祖母の兄、私の大伯父と京都に一緒に住んでいました。本当に仲の良い兄妹だったようです。
その後大伯父は、当時名古屋の都市計画をするという仕事に携わることになり、当時珍しかったヨーロッパに出張し、ロンドンやパリなどを周って、道路の整備とか土地区画などを学んだそうです。
おそらく当時、彼の目に映ったヨーロッパというのはとても美しく見えたに違いありません。
そんな洋行の話をたくさん祖母にしていたんだと思います。
ご縁は、大伯父から祖母、叔父、そして母へ
当時ハイカラ教師であったであろう祖母も結婚し、4男5女!とたくさんの子宝に恵まれます。
母は下から二番目。末っ子の叔父と5つ離れてたのですが、これだけの子だくさんですから実質私の母が彼の面倒を見てたようで、とても仲がよい姉弟でした。
叔父はとても優秀で、東京大学でフランス文学、デカルト哲学を学び、東大大学院卒業後、愛知大学で西洋哲学の教鞭をとることになります。
そして私が小学5年の時です。当時姉は小学6年、弟は小学3年でした。
ある日突然私達子供を集め
「お母さん、叔父さんと来月からパリにいってくるから。」
とさらりと言い、これから家事を自分たちで頑張るようにと命じました。
もちろん私たちに拒否権はないので(笑)家事を学び、父と一緒に留守を守りました。
昔、洋裁を学んだ母は、ずっとモードの国であるパリは憧れだったようで、当時パリ大学に仕事に行く叔父にちゃっかりついていって、語学堪能な叔父と一緒にフランス一周をすることにしたのです。
母は、叔父の語学力を駆使して(笑)パリでいろんな体験をしてエンジョイしたようで、近くの岐阜羽島駅に着いた母を見たとき、髪型も服も全く変わってしまっていて、子供ながら度肝を抜かれた記憶があります(笑)
帰国後、母からキラキラするような沢山のおみやげ話を聞かせてもらいました。
写真のロワールのお城の話、パリの美容院の話、ブランドブティックの話、、、いろいろいろいろ。。。
お土産にもらった小さな自転車のブローチと、かわいいメモ帳を見ながら、ああこれがパリなんだ、凄いなあ~と子供ながらにほのかな憧れを感じたのを今でも覚えています。
さて、その10年後、自分も思いがけない形でパリに行くことになるのですが・・・それはまた次回!
今日も読んでくださってありがとうございます。
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