理系だった私がアクセサリーブランドを作ることになった訳 その1
写真は、ロンドンで見つけた輸出京薩摩のケーキプレートに
パリで買ったヴィンテージのシルクタフタで作った菊のコサージュを乗せたもの。
さて、前々回、
その中で私が元々は研究職であったことをお書きしました。
アクセサリーのブランドや作家さんの多くは
ファッションや工芸、美術系の専門学校か大学に行かれています。
じゃ、なぜ私は畑の違うこの道を選んだのか・・・
すみません、めちゃめちゃさかのぼってお書きします。
原点は両親から始まってます。
蛙の子は蛙、マニアの子はマニア
私の父は、昔から大変美術が好きな人で
今でも油絵を描いては県展などにせっせと出してたりしてるのですが・・・
そのため、小さい時から美術書は本当にたくさんあって、
ゴッホ、ルノアール、ゴーギャンなど、有名な画家や絵は
物心ついた時から何となく知っていたように思います。
そして小学校3年の時です。
父は一生忘れられない場所に連れて行ってくれました。
骨董のオークションです。
骨董収集も父の趣味で、まあまあマニアックな皿とか
掛け軸とかが昔から家にいっぱいありました。
未だになぜ急に連れて行ってくれたかわかりませんが
出品される絵や陶器がどれも綺麗で、横にいる父に聞きまわっていた
記憶があります。
今でもここで見た色や形は忘れられません。
私のアンティーク好きはここが原点だったと思いますし、
アクセサリーの一部やディスプレイに、アンティークを使うのも
完全なる父の影響です。
たぶん私は父から色の使い方、素材の使い方・良否なんかを
知らず知らずのうちに学んだのだと思います。
布と糸とボタンと
私の母は、洋裁学校を出て、就職した後、父と結婚。
私が小さい時から、既製婦人服を縫っていました。
とにかく忙しい人で、そのほかに刺繍とかの内職もしてたこともあって
母の仕事部屋にはいろいろな色や種類の糸、端切れ、
そしてボタンやビーズがあり、
それを材料に、下手ながらもリカちゃん人形の布団や服なんかを
作ったり、作ってもらったりして楽しんでました。
大人っぽいウール、しなやかなプリント生地、
たくさんの刺繍糸、穴糸、縫い糸。。。
今考えたら子供が使うにはかなり贅沢な素材だったと思います。
刺繍も、縫物も、全部母のを見て覚えたのですが
あまり褒められたものではない出来栄えで
両親に
「おまえは不器用で縫子は無理だから、なにか他に手に職をつけろ」
と言われて、縫子の道は小さい時にさっさとあきらめ
たまたま理科ができたということで
そちら方面に進学することになったのです。
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とりあえず今日はここまで。
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