クリエーター、職人、そして商売人①
写真はMatsuyoiコサージュ。以前ご紹介した本金糸が織り込まれた正絹生地で出来た花
今まで、自分のクリエーター、職人としてのプロセスを書いてきましたが、今回は株式会社松なみの代表取締役としてのお話しを書いていこうと思っています。
正直クリエーター、作家はこういう話をしない方がブランディング的には良いとされている傾向があるかもしれないのですが。
生い立ちを振り返る事案も最近多かったので、noteにまとめてみるのもいいかなと思い書くことにしました。
経営者・商売人
以前お書きしましたが、私の実家は岐阜にあります。
岐阜、愛知は今もですが世界のトヨタをはじめ、重工業の名だたる企業が軒を連ねる地区で、父も親族経営で製造業を営んでいました。
いわゆる「経営者」の一族です。
しかし父は「経営者」といわず「商売人」という言葉をよく使っていました。
一般的に、理念や規範によって会社を経営する「経営者」という言葉を使わず、イメージが異なる「商売人」という代名詞を使っていたのは、個人主体で商売することを意識していたのかもしれません。
華やかな時代の幼少期と青年期
私の幼い時は、日本が高度成長期にありました。
そして大学時代はバブル期。
父は出張も多く夜中まで働き、そんな父を母も昼夜ともに支え続け、よく働いていました。
とにかくたくさんの人が出入りする家でした。
お正月になると、父の会社の従業員の方が家族連れでいらっしゃって
その為のお節やごちそうを作るために、母と姉、私たちは早朝から台所にたって支度をし、お子さんの面倒を見たりしていました。
日々の生活にどっぷり、父の「商売」のが組み込まれいた日々だったと思います。
とりあえず今日はここまで。
また続きは、時間が出来たら。