父の定年退職の年を超えていたことに気づく〜昭和の終身雇用

And looking up, I noticed I was late

ちょっと前に気づいたのだけど、父が定年退職した年をもう超えていた。正確には早期退職だけれど。

もう父は亡くなり、母も少し痴呆が入っているので、正確な年齢は確認できないのだけど、いや、できるな、高1のときだったから、彼が55か56のときだ、早期退職したのは。

父は昭和3年、東京生まれで、12歳位に志願兵で空軍へ入隊(徴兵されてから行くと一兵卒でいじめられるからと言っていた)、しかし、敗戦間近で飛行機もなく、訓練でも一度も飛行機には乗らなかったらしい。出撃命令が出る前に、戦争は終わった。

戦後、産業用機械などを作る会社就職し、そこから定年までその会社で過ごした。昭和の戦後〜高度成長期の終身雇用制度をまんま生きたような人だ。あまり有名ではないが旧財閥系の東証一部上場企業です、以下の話の前提として。

都内の本社勤務から、工場がある太平洋ベルト地帯(!)の地方都市へ転勤、そこの工場長のときに早期退職を選択し、たぶん3年か4年くらい早めに定年退職し、子会社の福利厚生サービス会社に転籍、55歳位から会社の寮の管理人を始めた。

住み込みなので、私も母も一緒に寮、といっても、一町内を形成するくらい巨大な一角で、(会社名+町と言われてたくらい)私はむしろ単身寮に入れて嬉しかったくらいだ。

それまで結構遅くまで働いていて、厳しかった父が、憑き物が落ちたようにのんびりと過ごし、どんどん性格も丸くなっていくのを見ていた。

55で実質リタイヤし、そこから6年くらい、ほぼ閑職で、のんびりと暮らし、住み込みなので住居光熱費もかからず、管理人、といってもOBなので、後輩がたまに訪ねてきて、「おう、元気か」てなもので退職後の悲壮感もなく。いいなあ。うらやましい。

で、さらに管理人退職後に備えてさらに少し田舎の方にマンションを購入、管理人を退職したあとは、管理人時代は寮を空けることができなかったので、行けなかった旅行に夫婦2人で狂ったように行きまくり、普段は近所のスポーツセンターで水泳&風呂、というような悠々自適な生活を送っていた。あれが50後半から60前半くらいだったのか。なんて平和な。いいなあ。うらやましい。

と、いうほど別にうらましく思っているわけでも無いのだけれど、あの時代、そんなに出世したわけでもなく、所得で言えば、中の下くらいの中間層だったはずで、それがこのくらい余裕があって、老後にたくさん消費もして、子ども2人を大学、しかも地方から首都圏の私立大学に行かせるだけの余裕があった、というのはなかなか感慨深い。失われた30年。40年目に突入しているのかわからないが。

ただ、私の世代的には、そうした昭和の反映を受け継ぎ、大学卒業後、バブルの狂騒、崩壊とその気になれば豊かさを享受できた世代ではある。ずっと傍流を歩いてきたので、ほとんど恩恵は受けていないけど、それでも、バブル期、ITバブルというのはそれなりのものではあった。

私の老後、そして子ども(中3 now)の時代はどうなるのだろうか。人ごとではなく現在進行系ではある。

私自身があまり悲壮感がないのも、父親をモデルにしているからだろうか? ちょうど今が、現役引退と子会社出向のタイミング、みたいなものと考えると、なんとかなる、かな。

相変わらず、求人誌を眺めているのだけれど、考えようによってはゼロから別の仕事が選べるというのはそれはそれで悪くもない。もちろん、選択肢は狭いけれど。







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