
私なりの教師不足の解決策|ニュースからの学び
本記事は前回の続きである。
ではこの記事では前回の内容を踏まえ、私が思う具体的な解決策について、考えてみようと思う。
私が思う、教師不足の解決策
教師不足は至る所で話されている。
これは日本国内に留まらず、世界各国であるようだ。
私が思う、教師不足の解決策、またはそれにまつわる話は以下の通りである。
「教師」の再定義
待遇改善
「常勤講師」の廃止
順に見ていこう。
なお前回の記事でも話したが、これらは個人の体験に基づく解決策ではあるが、単なる感想の域を出ないことは許してほしい。
「教師」の定義
私の主観を述べる前に、客観的事実を先に述べておく。
私が調べたところのによると、日本の学校教育は、明治時代に遡る。
当時は軍学校のように、画一的でノイズの少ない、優秀な生徒を醸成するための機関として設立されたようである。
教師をやり始めた【平成】の時代も、画一的でノイズの少ない教育を行いながら、優秀な生徒を育てることに重きを置いていたように思う。
平たく言えばエリート教育だ。
かつて若かった頃。
私は授業のレベルをどこに設定したら良いかわからなかった時に、とある2人に相談したことがある。
教育・教師業に熱心な、同級生の教師
当時働いていた学校の、管理職
その両名から
【真ん中からちょい上をターゲットにした教育をした方が良い】
というアドバイスをもらった。
教師たる者、(真ん中くらいの生徒の)学力や資質を伸ばすために尽力していくことが重要である。
これが、私が教師をしていた頃の、教師としての役割だった。
(公立学校勤務だったので、私立だとまたちょっと違うかもしれない。)
「教師」の再定義|令和以降
そして昨今
教師の働きすぎ問題
教師の指導力不足問題
教師の成り手不足問題
など、様々な問題が複雑に絡んだせいで、改めて【教師の役割】や【立場】について、再定義が求められていると感じている。
明治〜昭和では、上から下に向かって、エリート教育を行うため。
昭和〜平成では、上から下に向かって、底上げ教育・画一的な教育を行うため。
そして。
平成〜令和では、下から上に向かって、支援・サポートするため。
これが昨今の教師に求められている内容であり、教師の役割だと感じている。
大事なので、繰り返そう。
下からサポートする存在。
それが教師なのである。
教師の威厳だの、立場だのと言っている教師たち(特に年配)は、この前提が理解できない。
もっと言えば、時代の流れに理解がついてこないと感じる。
自分たちは常に上の立場だったから、下から支える気持ちが理解できないのだと私は思う。
令和に入ってからは、下から支えなくては世間の理解が得られない。
この辺りは、過去に詳しく記事に書いたことがあるので、気になる人は参考にしていただいたらありがたい。
教師の仕事は、下から支える仕事。
勉強を教えるのもそう。
上から教えるのではなく、下から教える。
私はそう感じている(いた)からこそ、離職し新たな人生をスタートさせることにした。
このまま教師を続けていけば、行き着く先はソーシャルワーカーとしての役割が色濃く出て、私がやりたいと思っていたこととは違うと感じるようになったためだ。
ま、私の話はどちらでも良いが、少なくともこれまでの教師の立場や定義は早晩再構築されるだろう。
今後の教師は、人の成長や学力を【下から支える】存在になれるかどうかが大事だろうと感じている。
上から教えたいなら、塾やインストラクターなど民間企業に移籍するしかない。
待遇改善
やや脱線したため、本線に話を戻そう。
教師不足のニュースを見て、感じることが前回の記事。
今回は、どうやったら教師不足を止められるかだ。
やはり即効性が高いのは待遇の改善だろうと私は思う。
改善すべき内容は、お金と常勤講師の問題。
ニュースなどを聞いていても、やはりお金周りの話が多い。
残業代はわかりやすいが、休日出勤も視野を広げればお金周りの話に入る。
そしてそのいずれも、お金の切り口から問題点を見ていくと必ず給特法に行き着く。
ということはそこがボトルネックなのだから、民間であればまず「給特法」をどうにかして取り除こう…と考えるのが普通なのだが、前回の記事でも話した通り、教育業界にはとある前提があることを思い出してほしい。
教育業界は、『金をかけるな・手間をかけろ』が至上命題の場所なのだ。
お金をかけずにいかに工夫で乗り切るかが、前提で動く。
そのため、お金はかけずにどうやったらうまくいくかを考えなくてはいけない。
それを踏まえ、なるべくお金をかけずに「待遇改善」を考えるとすれば、私は経験上、以下の3点かなと感じている。
初任者をきちんと初任者扱いをする、または【初任者研修】の見直し。
【単一責任制】として、担任・分掌(教務部や進路部など)・部活動顧問それぞれを兼務しない(専任にする)
【常勤講師制度廃止】
3は詳しく解説するので後回しにして、1と2については、さほど難しくない。ただいずれも間接的には金銭が絡んでくる問題だと思うので、全くお金をかけずに…というのは難しいのかもしれない。
それでも、この3点が待遇改善策として、最も簡単で、比較的お金もかからずに行えることだと自負している。
初任者の扱い方、初任者研修の見直し

まずは初任者の問題から。
教師の初任者は、地域や校種によるとは思うが、初心者マークをつける期間がない。いきなり最前線に立たされる。
「大事なことは現場が教えてくれるから。」とでも言わんばかりに、OJTを行いながら、正規業務も行うようなことが結構普通にある。
そうかと思えば逆に、何十年も現場にいた「講師」だったとしても、採用試験に合格して正規採用となれば、公務員としては初任者だからなのか、煩わしい初任者研修を受けなくてはならないという現状がある。
現場を何年も何十年も見て知っているのに、立場が初心者というだけで1年間初任者研修を受ける。
大卒・学生卒の人と、現場を10年経験した人が、立場が同じだからというだけで、1年間同じ内容を研修する。
初任研自体は定時内に終わるし、その内容は生徒や保護者などを相手するよりもはるかに精神的負担が少ないため、初任研のみで1日が終わるなら、むしろウェルカムなのだが、大概の初任者はそうはならない。
通常業務にプラスして、初任者としての仕事が上乗せされるのだ。
どこの業界に、初心者に通常業務をさせながら初心者としての業務を上乗せする業界があるのだろうか。
美容師免許をとりながら美容室で働く人たちでさえ、通常業務は免許がなくてもできる内容で行わせているはずである。
免許があってしまうからこそ、通常業務もできてしまうのだ。
そして幸か不幸か、若いからこそ乗り切ってしまう人も多いため、乗り切った人は自信みたいに扱ってしまうのも、副次的な被害をもたらす。
「私の頃は、もっと酷かった。今はだいぶ優しくなったからがんばれ。」と。その人の主観が価値基準となった物差しを使い、初任の若い先生が推しはかられる。
その先生が数年したら、やはり若手に対して同じようなことを伝える。
その“口コミ”が負の連鎖を生んでしまっていることに気づく由もない。
なぜなら、自分たちが通ってきた道が間違いだっただなんて、謝ることのできないプライドの高い教師たちができるはずはないのだから。
この初任の儀式は、大学卒業直後の先生以外には、教師・生徒・保護者、誰も得しないシステムになってしまっている。
この初任研の扱いは、根底から変えた方が業界全体の健全化に向かうと思う。
初任者なのだから、大事な生徒を預かるにはまだ不十分である。
この原点に立ち返って、初任研を受けるべき人たちの新たな線引きが必要かと思う。
単一責任制

次に、教師の働き方について。
何度もいうが、どうも日本は教育について「金をかけるな、手間かけろ。」を前提に進めなくてはならないので、その前提や土台を忘れてはいけない。
お金がいくらでも使えたり、教育にかける予算を増やしてもらえるならもちろん
少人数学級
教師を増やす
残業代・時間外労働の報酬をきちんと出す
などの方法は、今働いている教師たちの負担を軽くし、離職率を減らすのに効果的かと思うが、どれも財源が必要なものばかり。
この国にはそぐわない。
そこで私は、一人一役割というのか、一人の教師はメインとなる業務を一つまでとする、というように単一責任制度とでも言うべき働き方を推奨したい。
これによって責任の所在を明確にできるとともに、職員同士の妬みや嫉みも減り、もちろん目的が明確になるためパフォーマンスも上がる。
部活指導がしたい先生は、多くの場合、通常の授業をしたくないことが多い。
反対も然りだ。
授業も部活動も両方をフルでやりたい人は、もちろんやらせたら良い。
ただし評価はきちんと行う。下手の横好きでは困るからだ。
曖昧な質問には曖昧な答えしか返ってこないように、抽象的な目的設定では、目的を達成させるための手段を無数に用意する必要があり、多くのリソースが必要となる。
金をかけるな手間をかけろ、が日本の教育だとしても、手間をかければなんでも良いと言うものでもない。
担任だけしたい人
授業だけしたい人
部活指導だけしたい人
分掌業務だけしたい人
実は結構多いと感じている。(肌感覚で申し訳ない。)
いきなり専任制度にしてしまうと労働力が不足すると言うなら、この4つのうち2個までとしても良いかもしれない。
実際、4つ全てをさせられていたとしても、良好なパフォーマンスを発揮できているのは2つまでだろうから。
目的が明確になれば、手段が洗練され、良いパフォーマンスが発揮できる。
残業が減らせるかどうかはその人の能力によるためわからないが、単純に仕事量が減らせるので相対的に残業時間は減っていくだろう。
と言うことで、本当はこの後に常勤講師制度の話をしたかったのだが、またしても長文となってしまったので次回に回そうと思う。
教師を辞めても相変わらず話が長いのは、性格なのか、それとも後遺症なのか。