教師不足のニュースを見て思うこと|学年主任まで経験した高校物理教師が、脱サラしてフリーランスになった
2023年9月、第2次岸田内閣が発足され、新しい文部科学大臣が決定した。
その方が就任会見か何かで、記者からの
「教師不足に何か手立ては?」
といった趣旨の質問を投げかけられた時に
「正直、名案はございません。」
と回答した、というニュースを拝見。
正直な方だなという印象もあるが、やはりな、という印象もある。
noteの企画で「#ニュースからの学び」という日経新聞とのコラボお題があることを知ったので、この件について思うことを(いつもと違う感じで)執筆してみようと思う。
ちなみに初めましての方に向けて、簡単に私の経歴を晒しておくと、こんな感じである。
高校教師経験者(講師4年、教諭12年、合計16年。教科は物理・理科)
現在、フリーランスのクリエイター
担任・部活動主顧問・進路指導部副部長・学年主任など、それなりに教師業務の全てを歴任
地方在住
もし足りなければ、過去に自己紹介記事を書いているので覗いてもらえると嬉しい限りだ。
それでは、以上のような経歴の私から感じる、「教師不足の解決策」や「教師の今後」みたいなものを、自身の体験をもとに語ってみようと思う。
ちなみに本記事では、教師不足のニュースを見ていつも感じる、現場経験者としての意見を述べる。
教師不足の解決策について、私なりの解決策を示した記事はこちら。
他にも、是非とも知ってもらいたい教師業界の闇制度についても執筆したので、お時間がある場合にはお読みいただきたい。
私が思う、メディアの限界
主観を話す前に。1つ前提というか、私のスタンスを申し上げたい。
私の時間が有限であるように、ここまで読み進めていただいたあなたの時間も、有限である。
お互いにとって、無駄は省きたい。
私が思うに、メディアの情報は“薄く広める”には適していると考えている。そのため、メディアから発信されるすべての情報は、個別具体的な問題解決には至らないが、認知や共感を生じさせるためには、有効な手段であると感じている。
無論、この私のnoteも、メディアの端っこの片隅には引っかかるだろうから、そういった意味では個別具体的な解決策には至らないと感じている。
それを分かった上で発信していることを、許してほしい。
端的に言えば、このnoteに何か画期的な解決策が書かれている可能性はない、ということだ。
これは揶揄しているとか腐しているとか、そういう意味ではない。
どちらかというと「抽象性」と「具体性」の違いに近い。
それでもなぜ、私が教師不足について語りたくなったかというと。
教師不足の解決策を、メディアで、特にテレビやインターネット番組などで検討する際、どうしても対立構造や番組構成を考えるためか、弁の立つ教師未経験者で語られていることが多い。
それがどうも、私にとって違和感がある。
アジアやアフリカの国々の政策を、欧米人が決めているようなイメージ。
はたまた、LGBTqの問題を、LGBTqじゃない人たちで、何とか解決しようとしているイメージ。
居ても参考証人のような立ち位置で、1人。
大学などで専門に研究している人もいれたら、2人くらいか。
出演者5〜8人に対して、わずか13%〜20%程度しかいない。
人口に対する教師の割合(0.75%)で考えればかなり多い方だが、「とりあえず現場の意見も聞いてみましょうか」と言ったお飾り感で呼ばれている感じがする。
学校種(小学校や中学校などの種類の違い)を跨いで問題点を話しているのに、それぞれの学校種の経験者を入れないことにも、疑問がある。
少なくとも私は、小中高それぞれの現場経験者を複数人呼んで、教師不足を本気で解決しようと討論している番組を見たことがない。
(お前が見ていないだけだ、というご指摘はごもっとも。)
ただそんなエンタメ要素の少ない討論番組をやりたいと思えるほど、お金も時間もないのが現実だろう。
メディアはすでに広告主のためにあるといっても過言ではない。お金を引っ張ってこれないコンテンツは、勝手に有志やYouTubeでやってくれということかもしれない。
これは余談だが、とある番組で女性タレントが「学校の時間外にトラブルがあったとしても、先生であるならば、学校の先生に一番に対応してほしい。」といった趣旨のコメントをおこなったことを記憶している。
業界内での信頼が厚いためか、今でも頻繁にテレビやメディアで拝見するような女性タレントだと思う。
言われた側の気持ちに寄り添えないそんな人たちに「子を持つ親」として切り口を与え、教師不足・教員の資質不足の問題を語り出すことができてしまうメディアは、やはり根本的解決には向かないと、私は感じている。
(薄めた危機感を広く知らしめるには適している、と念押しをしておく。)
しかしこの10年、こういった人たちの活躍(?)もあって、社会的に認知が広まってくれた。
「あーこんな人たちが親にいるんだ。ほんと教師って大変ね。」
と。そういう意味では大変ありがたかったのかもしれない。
貧すれば鈍する、は正しい
私は経済学などを学んでいないため、マクロもミクロも経済については全くわからないのだが、40年も生きてこれば、それなりに人生のトラブルもあったし、そこで得た教訓なんかもある。
その1つが、貧すれば鈍するというもの。
貧しくなると、精神の働きまで鈍くなるという意味だそうだ。
これは経験から言っても、かなり正しい。
そしてこれは、教育現場にもかなり当てはまっている。
教師時代ではよく
「金をかけるな、手間をかけろ」
と言われていた。
金(合理性・利便性)で教育するな、手間(愛情・人情)をかけて教育しろ、と言った意味があったのかもしれないが、実際のところは文字通りの意味でしかなく、格言感はない。
お金をかけることは悪。
手間をかけることは善。
効率よく進める教師は悪、遅くまで残って作業する教師が善。
何かを新調したり準備したりする場合、教師は必ずまずは自分たちで用意できないかを考える。
授業しかり、部活動しかり。
都市部や小学校などでは随分と変わってきたのかもしれないが、少なくとも地方に住む高校教師の経験しかない私は、身をもって体験してきた。
お金をかけることは悪。
手間をかけることは善。
教育とお金についてマクロな話をすれば、日本が教育にかける予算は世界的にみても低いそうだ。
土台自体、いや足元だけでなく日本の教育構造自体、いかにお金をかけずに良質な教育を提供できるかが使命となっている。
そのために現場ではさまざまな創意工夫がなされてきた、と言えるのかもしれない。
とあるインターネット番組で、「テレビ業界は景気の煽りを受けて、制作費用が激減した。しかし現場の工夫でそれを乗り切り、低予算でも面白い番組を次々と制作してきた。幸か不幸か、低予算でも制作ができてしまったがために、現在のテレビの衰退へとつながったのかもしれない。」と言った趣旨の発言を見たことがある。
(番組名を失念してしまった。申し訳ない。)
教育にも全く同じことが言える。
現場の工夫で乗り切ってこれまで数十年、それなりに教育ができてしまったため、教育者や教育現場は衰退し始めている。
(壊れた教師が数多くいるため本当の意味ではできていないのだが。)
余談だが、テレビ業界と教育業界は似ている部分が多いというのが、私の持論である。
そして昨今、テレビ業界でも有能な人たちをはじめ、さまざまな人たちが第二の人生に向けて舵を切り出した。
これは(すでに起きているかもしれないが)教育業界にも訪れることだと思う。
「教師離れを食い止めるにはどうしたら良いか?」というのは、意外と「今からテレビマンを増やすためにはどうしたら良いか?」というところに、ヒントがあるのかもしれない。