日記20200621

新しい記事が出た。noteでも予告していた中国プデュ『青春有你2』の記事だ。IZ*ONEについての謎文「花は視線に復讐する」が掲載されたみつばさんの『大恋愛』も献本分はリリースされた。

アイドルについて書くのは毎回気が重い。なるべくファンの感じた良さを言語化して、そのコンテンツやアイドルのオリジナリティを抽出したいという気持ちもあるし、同時にアイドルというジャンルが孕む問題点も漏らさず指摘しなければいけないという思いもある。そのポジティブとネガティブのバランスにいつも苦戦する。魅力を語るだけならいくらでも最高な個人ブログがあるなかであえて公共的なメディアに文章を書かせてもらう意味は、そのバランスをクリアした上でそれでも残る魅力を語ることにあると思う。なのでそこにはこだわりたい。こだわることを許してくれる編集者の方には本当に感謝していて頭があがらない。

いわゆる「評判」は気にしていないのだけど、とはいえ記事が出ると反響は気になる。アイドルについて踏み込んだことを書くと、鍵垢でRTされてこちらにあまり反応が見えてこないということが多い。気持ちは大変よくわかるけどもどかしい。だからその分、感想をつぶやいてくれる人がいるとすごく嬉しい。ファンに対しては同志のような感覚がある。

何度も同じことを書いてる気がするけど、Twitterは雑な構図が流通しやすいし、自分の発話もごく単純な構図に収束していきやすい。このメディアの特性に抗うことは難しいと思う。とはいえそれは裏を返せば、Twitterでの発話は必ずしもその人の複雑な心境、意見、思考、態度、在り様を正確に表しているわけではないということだ。ファンダムに限らず、ここ2、3年のTwitterのアカウント群には失望することが多い。でもそれは、あくまでも「アカウント」の振る舞いに対するものだ。その奥には人がいて、自分も含めて人もまあ愚かではあるけど、アカウントやツイートに比べたらマシだとも思う。人に届くと良いなと思って記事を書いている。これは記事の反響が少ないことに対する何かではない。

今回も交換日記にならなかった。もはや交換日記にする気さえなかったような感じもする。そういえば、幼いころに父親と交換日記をした記憶がある。僕は当時虫が好きで、虫の絵と名前をたくさん書いていた。父親は、それに対して真面目に日記のようなものを返信していた。父の内心?に言葉で触れたのは、あれが最初で最後だったような気もする。今日は父の日で、父の一周忌から1ヶ月と1日が経った日でもある。だからなんだという感じだけど、とはいえ意味のない区切りしか意味をもたないのが喪だとも思う。


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