短縮版です!「井谷聡子氏の『男女の境界とスポーツ』を読んでみた」
前に書いたこちら「井谷聡子氏の『男女の境界とスポーツ』を読んでみた」が気軽に読むには長すぎるので、以前の自ツイートをもとに内容を短くまとめました。
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井谷氏「エリートスポーツの世界では差別的・屈辱的な性別チェック・性別コントロールが行われてきた!許せない!」
井谷氏「DSDs(性分化疾患)のセメンヤ選手はお気の毒!満足に競技できないまま、もう29歳だよ!?残り時間が無いよ!?」
井谷氏「セメンヤ選手のようなDSDsの選手も、薬でホルモン値をコントロールしなきゃいけないMtFトランスジェンダーの選手も、同じことで苦しんでる。同じような存在ってことだよね」
(←同じではないんですよ。雑に混ぜないでいただきたい)
井谷氏「10.49秒(1988年にフローレンス・グリフィス・ジョイナーが記録)以下で走ることができる男性は、たとえエリート並みにトレーニングをしたとしても、人口のうち極めて少数である。ところが、世界記録の男女差や平均値の差だけが強調されることで、「男は女より走るのが速い」という考えが強化され、「男は優れたアスリートで、女は二流である」といったような男女の階層化された身体差イメージが再/生産される。」
(←問題は身体のつくりの差ではなくマインドセット!励ましとやる気とイメトレの問題だよ!みたいな話になっていますね。身体性を軽視したいんですね?)
井谷氏「ナブラチロワはセメンヤさんたちには味方するくせに、MtFTGの選手を詐欺師(チート)って言った!しかも個人の選手でなくMtF選手みんなをだよ!酷くない?」
(←MtFが女子スポーツに入れてしまう制度を問題として批判しているんだから、あたりまえです。)
井谷氏「マニッシュな外見の女子も女子トイレや更衣室でビビられてイヤな思いすることあるでしょ?MtFTGと同じような存在ってことだよね。だからMtFTG選手が女子スポーツにいたって、べつに良くない?」
(←同じではないんですよ。雑に混ぜないでいただきたい)
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このように、混ぜてはいけないものを混ぜる(とくにMtFTGとDSDsの人たちとを混ぜる)ことに熱を注いでいます。
DSDsの選手のことは名前を挙げ詳しく紹介し、彼女らが受ける屈辱に深く心を寄せている。
ですがMtFTGの選手のことは、誰のことも名前をあげて紹介しません。
DSDsの選手についてははっきりしたイメージを持つことができるようになるのに、MtFTGについては何もわからず、誰の姿も見えてこない。
そのようにしたうえで「DSDsもMtFTGも同じような存在」という誘導をしています。
「本質的に違う課題に直面している異なる存在」を「同じような存在です」と強弁して一緒くたにまとめることをインクルーシブ(包摂的)と言うのでしょうか?
どうも現在、そのようなことが知の世界では進行しているようです。
インクルーシブという言葉の響きの良さに惑わされるのは、たいへん危険なことと言えます。
「男女の境界とスポーツ」というタイトルで読者が期待するのは、研究者ならばどのような理屈でMtFTGの女子スポーツ参加を正当化し読者を説得してくるのか、という一点に集中するでしょう。でもこの論考はMtFTGの具体例を出さずその点を徹底的に避けているので、読者の期待は決して満たされることはないのです。