映画 TENET (テネット):主人公と相棒は同一人物
はじめにTENETとは何か?
内容をゴリゴリにネタバレするので観てから読んでネ。
この映画のテーマは陰陽だと思う。
名前のない主人公とニールという相棒が陰と陽のようにコントラストを描いていて、さらにこれは実は同じ存在だというのが合気道的解釈であり、こうすれば難解な物語のつじつまを合わせられる。
どうやらヒロインであるキャットの息子が実はニールだとかいう説が有力らしいけど、そんなわけねーだろと思ったので、自説を書く。
TENETというのはタイトルにもある通り始まりと終わりが同じ映画なのだ。
過去と未来の両側から敵を挟み撃ちにするのがTENETだと劇中で語られるけれど、では一体誰がその挟み撃ちをするのか?
主人公と相棒のニールだ。
二人は過去と未来の両面であり、それはつまるところコインの裏表、同一人物が姿を変えて他人を演じているに過ぎない。
この映画のテーマ
TENETというタイトルは回文になっていて、反対から読んでも同じように読める。
元ネタはラテン語の回文「SATOR AREPO TENET OPERA ROTAS」映画の登場人物や組織名がこの回文の中に入っていて、これはあらゆる内容のヒントだ。
すべてが回文の中にあるのだからその中心に来るのは一人の人間しかありえない。
まさにそのように映画の冒頭とラストもほぼ同じ時間帯の出来事になっている。
そして何よりもTENETという映画を円環の中に閉じ込めているのは、自らの命すら犠牲にして主人公を助け時間の中に閉じ込められた男、ニールの存在だ。
ニールの正体
この映画の主人公には名前がない。
ただ役割として「主役」であることが示唆されているだけだ。
しかしながら、そんな「主役」を差し置いてニールは映画の冒頭から密かに主人公の命を助け、全編に渡って表舞台でも裏舞台でも影のように主人公についていって活躍していく。
主人公と同等の運動能力や技術を持ち、必要なタイミングで必要なことができるのはなぜなのか?
TENETという作戦のために未来から誰かに送り込まれてきたというのではつじつまが合わない。
なぜならニールは最終的に自分が死ぬことになり、そして永遠にTENETを繰り返すことになるのを知っているからだ。
それを誰かの指示で出来るはずがなく、それは自身の信条できた以外にはありえない。
「主人公」の正体
この映画のタイトル「TENET」にはすべてがこめられている。
この映画の冒頭で死んで一切の経歴が抹消された男が、この映画の主人公だ。
彼には経歴がない。彼が誰なのかは誰も知らない。
映画の冒頭で彼は無関係な人の死を見過ごさない。そういう信条があるのだ。
そして、序盤で自殺用とされる薬を飲みこんで死ぬけれど、それは偽薬であり再び生き返る。
「TENET」は最初と最後は同じになるとしよう。
この映画の終盤で死んで、そして時間の逆行によって生き返るのはニールだ。
扉の前で死んでいた相棒のニールが生き返って扉を開く。
冒頭で主人公は擬似的に死に蘇る。終盤でニールはすでに死んでいるが時間の逆行で蘇る。TENETはその間に挟まれた物語だ。
TENETとはひとりの人間が計画した挟撃作戦で、その男は過去と未来の両面からひとりで敵を挟撃する。
ニールは主人公で主人公がニールだかこそ「TENET」だ。
ラストでニールは主人公に言う「素晴らしい友情の終わり」だと。
「友情」とは他人だから成り立つ。未来で同一人物になる主人公にはもう友情はない。
この構造がどう考えても美しいTENETだ。
補足
過去に戻っている時に自分に出会ってしまうとパラドックスによって対消滅するという設定があるけど、それは説明されたすぐ後に、そうではないことが証明される。
主人公が過去に戻ったとき、自分自身と戦うからだ。
むしろ自分と会いたくないニールのウソではないだろうか?
あと、あまりにもニールと主人公が似てないというのはそれ自体がミスリードとしてつくられてる気がする。
ニールの役者は黒髪をわざわざ金髪に染めているそうだ。
黒人黒髪のファッションダサめで冷静な主人公に対して、白人金髪のスマートでユーモラスなニールというのは対比があまりにも出来すぎてる。
まさに陰陽であり光と影であることを暗にほのめかしている。誰がみても同一人物とは思えない。
様々なシーンで主人公とニールは並んでいる。
あと細かい補足だが、武器商人のプリヤは黒幕を知ってる風で、ニールとは知り合いだったが主人公のことは知らなかった。
この辺もニール=主人公説を補強してくれそうな気がする。
プリヤは「主人公がひとりとは限らない」といい主人公は「おれが主役だ」という。それもこうして考えると示唆的だ。
最後にプリヤを殺しておけば、未来で主人公がニールになってもその正体を誰にも知られなくなる。
ニールのタイミングの良さ
ちなみに主人公が未来からきた自分を殺しそうになった時に止めるのもニールだ。
タイミング良く主人公を助けたわけだが、毎度毎度タイミングが良すぎる。
とにかく要所要所でめちゃくちゃタイミングがいいのだ。
冒頭から密かに主人公を助けている。
それを他人にああしろこうしろと指示されて都合よくうまく行くだろうか?
一体どんな他人ならそんな役目を任せられるだろうか?最後に死ぬのに。
そもそも主人公は無関係な人の死を望まない。そして、終盤では世界に危機があったことを「誰も」知らないと語る。自分がいるのに誰も知らないとは?
主人公は冒頭で擬似的に死に蘇生させられて世界を救い、最後に世界を救うためにニールとして死ぬが、それすらも利用して任務を完了させる。
これこそが美しいTENETだ。
過去の自分と未来の自分による挟撃作戦こそがTENETだとするなら、映画におけるニールのあらゆる言動が理解できる気がする。
ゴヤの贋作が二枚あることすらその暗示のようにも思える。
あと、主人公役はニール役が決まった後に、ニール役に見合うように選んだとノーラン監督はインタビューで言っていた。
それってつまりはそういうことなんじゃね?というメタ推理もできなくもない。
まとめ
そういうことだ。
てなわけでホントかどうかは是非、自分の目で確かめてみて欲しい。
二回しか観なかったけど、めちゃくそいい映画だったのでオススメ。
おしまい
マツリの合気道はワシが育てたって言いたくない?