『贈与論』で稽古する合気道:無敵とは何か?
昔の人いわく、家から出たら七人くらい敵がいるらしい。世の中では大小さまざまな争いがあるので、そんなもんかも知れない。
にも関わらず合気道では「敵をして戦う心なからしむ、否、敵そのものをなからしむ」を目指していたりする。敵対心どころか敵そのものをなくせってことだ。
「できるわけないじゃん」って思ったそこのアナタ!
そんな時こそ『贈与論』だ。人類の贈与の歴史の中に答えはすでにある。
みんなで回せば怖くない
まず前提として贈与というのは攻撃の一種みたいなもの。
ポリネシアではこの攻撃を処理するためにクラ(環)交易と呼ばれるシステムを完成させた。
色んな島にいる民族は、それぞれ船団をつくって近くの島に住む別の民族と生活のために交易するわけだが、その時に伝説のアイテムの受け渡しを行う。(効果:伝説なので持っているとテンションが上がる)
だから貰える側は大歓迎で色んなお返しをするし、あげた側も次に貰うときには利息をつけてたっぷりとお返しする。
ポイントはそれによってクラに参加しているすべての民族がひとつのストーリーを共有するってところにある。
「われわれの祭りは藁をいくつも縫い合わせて一つの屋根、一つの話を作るのに用いる針の働きをします」とのこと。
伝説アイテムが多くの島々の民をひとつにつなげている。まさにひとつなぎの財宝。これがワンピースだ!(嘘です)
全員に贈与する
贈与と祭りに関してはインディアンに面白い伝承が残っている。
『ある部族の姫がカワウソと結婚したが、結婚式に呼ばれなかった部族が知らずにカワウソを殺してしまい呼び忘れた側も呼ばれなかった側も大きな犠牲を払うことになってしまった』
という話。
仲間外れがいると衝突や悲劇が起こるというわけだ。そして、それを防ぐために贈与と祭りでは部外者をなくせということだろう。
最近のWeb小説のトレンドは追放されたけど実は超有能でした~いまさら気づいてももう遅いよ~というもの。
仲間はずれにされた恨みにはエネルギーがあるし、共感も呼びやすいらしい。
先住民族の中には継続して贈与しあう関係になっているということは、物を通して結婚したと考える部族もあるらしい。
贈り合う関係はもはや他人ではないということだ。
敵そのものをなくすとは?
利害関係とはある意味では依存の関係でもある。
例えば金の貸し借りがあるとき、借りた側は相手の金に依存しているけど、貸している方も実は返ってくるはずの金に依存しているのだ。
ベストセラー作家にして最近まで借金を背負っていた借金玉先生は自身の経験から「お金を返して欲しいと考えている債権者は究極的に味方です」と語っている。
起業した会社を倒産させ大借金を背負い、ヤケクソになって借金玉を名乗っていた氏が無職から立ち直って再就職し、作家として成功した背景には債権玉こと債権者の協力が欠かせなかったという。
先住民族が気前よく互いに贈与し合うのは、この依存関係をつくるためだとも言える。相手にお返しされないまま消えられては困るのだ。
だから結果的に関係が維持されて平和が訪れる。
贈与は循環させれば処理できる
他人から物を貰うとそれによって自分が支配されてしまう。
その関係性を一方的なものにしないために、先住民たちは互いに気前よく贈与しあっていた。
合気道における攻撃の処理もこれと同じだ。
いきなり物を貰う(攻撃される)と準備ができていないので、バランスを崩されてしまう。
しかし、ずっと循環しているなら、くるとわかっているものを貰って、相手にほんの少し利息をつけて返してやればいい。
ずっと前に自分が回したものが返ってきただけなのだから。
そこにはもう敵はいない。
循環に参加してくるのは利害関係者であり、債権者であり、債務者だ。
あるのはそれぞれに適した処理方法だけ。
相手はこちらを攻撃してくる敵対者ではなく、関係を維持しようとする協力者になる。
前もって回しておけば、敵と戦うという心をなくすことができる。否、敵そのものをなくすことだってできるだろう。
(以上、『贈与論』第二章より)
まとめ
敵対されていると感じるのは自分だ。蟻が自分に殺意を持っていても誰も何も感じない。
贈与(攻撃)してくる相手は敵ではなく協力者であり、関係は維持される。
前もってその贈与の循環の中に身を置いておけば、やってくる相手は自分が招き寄せた来客に過ぎない。
合気道では、こういうちょっとした考え方で身体の緊張や恐怖心をなくしていく。
ま、言うだけなら簡単なんすけどねぇ。
招き寄せ 風を起こして なぎはらい
練り直しゆく 神の愛氣に
合気道開祖・植芝盛平
もうちょっとだけつづくんじゃ