ポケモンと合気道の話:何のために形稽古をするのか?
本日は中学生の頃に友達とポケモンをやってて気がついたことが実は合気道でも活かせることだったよという話をする。
数人の友人と「せーの」でポケモンをはじめて、ある程度時間をおいたら対戦をしようという話になった。
結論からいうとおれは誰よりも早くポケモンを鍛え上げてあまりにもレベルに差があったので戦うまでもなく勝負は決してしまった。
なぜこんなことになったのか?
ポケモンというゲームは自分の持っているモンスターを鍛えるゲームで、普通にプレイすると誰がやってもだいたい同じくらいのレベルになる。
めちゃくちゃ抽象化すると、ポケモンは物語を勧めながら以下の工程を繰り返すゲームだ。
これは初代のポケモンの話だが、基本的なルールとして強い相手と戦う方が経験値が多いが、相手を倒してしまうと二度と戦えないというものがある。
そこでおれは以下のようなサイクルをつくった。
勝ってしまうと同じ相手と戦えなくなるので、わざと途中で負けるのだ。こうすることで強く経験値が豊富な相手と何度も戦うことで圧倒的に時間を圧縮した。
結果、誰よりもはやく鍛えることができたというわけだ。
人は負けたくない
だいたいのゲームというのは順調に進めるとちょうど良い難易度になるように設計されている。
普通なら、より強くしたいなら時間をかけてコツコツ鍛えるしかない。
何度もわざと負けて質のいい対戦を繰り返すという遊び方は想定されていないのだ。
RPGなどのレベル制のゲームというのは「敵に負けたくない」という人間の心理を利用してバランスの調整がされているのだと思う。
だからあえて負けることができると、その縛りから抜け出すことができる。
形稽古という思想
この発想でいくと合気道の形稽古というのも、ある意味ではポケモンにおける合理的な修行法とも近い。別にゲームではないんだけれど、本当に突き詰めて稽古する場合はムダがない。
最初からどちらが勝つか負けるかまで決めて、その上で真剣に稽古しようというのが合気道の形稽古だからだ。
発想が良いし、攻める側も守る側も課題が浮き彫りになるので、うまく回ると勝ち負けを高速で回すことができるのだ。
形稽古の落とし穴
しかしここでも人は「負けたくない」という罠に落ちることになる。
形稽古という明らかに勝ち負けが設定されているものの中でも「圧倒的に勝ちたい」「一切の失敗なく勝ちたい」と思い過ぎてしまう。
結果どうなるかというと、わざと圧倒的に負けてやり、わざと圧倒的に勝たせてもらうのだ。
それはある意味ではWINWINの関係ではある。その稽古に置いてはお互いに気持ち良くなれる。
ただ結局のところ、ポケモンも型稽古も目先の相手に勝つためのゲームではないのだ。
しっかり負けよう
一緒に稽古してない人には全然ダメでは意味がない。結局はポケモンも合気道も同じなんじゃないかなぁと思う。
ちゃんと勝てるようになるにはちゃんと負けられるようにならないといけない。
たかがゲームであっても、敵に負けるのはストレスだけれど、効率を考えるとちゃんと負けた方がいいのだ。
そんなわけで形稽古はポケモンだと思うし、だからこそちゃんと負けてちゃんと勝てるようになろう。