戦前の武道書『武道練習』『武道』から合気道を読み解く
そもそものキッカケはこの記事。
戦前の稽古の実態を探ってると、『武道練習(合気柔術伝書)』(1933)と『武道』(1938)からも色んなことが見えてくる。
そんなわけで、先の記事では割愛した部分を解説していく。
メインとなるのは植芝盛平はなぜ技の説明をしないのか?という点だ。ほとんどの弟子が盛平はぜんぜん説明してくれない!技は忘れろとしか言わない。みたいな事を言っている。
その答えらしきものを少し考察してみた。
武道練習とは?
『武道練習』は戦前の弟子だった国越孝子が植芝盛平の許可の下、まとまっていなかった戦前の技をイラスト化してテキストにしたものだ。
もともと盛平は技については忘れるように言っていたが、国越孝子たっての希望だったからなのか、あるいは日本が戦争へと向かう中で何か残したかったのか真意はわからないが作成を許可して協力した。
この本の名称には揺れがあって『武道練習』のときもあれば『合気柔術伝書』という場合もあり、いわゆる免許の代わりに与えられたりもしていたらしい。
またムリに真似するとケガのもとになるとの考えから初学者には見せないようにとの指示もあったという。
ちなみに戦後には内容が若干変わった『合気道 壹之巻』もあって、これはこれで戦前と戦後の差が少し見えたりする。
武道練習から見えるもの
多くの戦前の弟子が言っていた技の名称がないという問題は武道練習からもよくわかる。
技の解説自体は座り技から始まり、一教、入身投げ、腕絡みのような技は出てくるのだが名称はほぼ出てこない。
「合気投げ」「呼吸(投げ)」「腰投げ」「背負い投げ」「四方投げ」※但し両手取りであまり四方投げっぽくなく、他の四方投げっぽい技は四方投げとは言及されていない。
合気投げと呼吸以外は表現として便宜上でてくるという感じで、やはり名称については重視されていないようだ。
技も直接的に相手を攻撃する技や打ちで終わらせる技、養神館などにある首元の袖を綾に取られたものを極める技、他にも足を踏んでかける技などがある。
表現も力を入れる、引き倒す、押し倒す、打ち倒すなど力強さを感じるものが多い。
ちなみに「呼吸投げ」に関しては1928年2月には稽古していたことが竹下勇日記に記してあり、類似するような技のない投げ方を「呼吸投げ」と総称していたという説もある。
武道とは?
『武道』は陸軍戸山学校で皇族の賀陽宮殿下に教えるためにつくられた異例のテキストで、こちらはイラストではなく写真付で気合いの入り方も違う。
「入身」「体の(左右の)変化」「体の転化」といった独自の概念、一〜四教に相当する第一〜四法という名称が出てくる。
相変わらず四方投げは四方投げとは呼ばれない。
ちなみ『武道』では終末動作として体の変化がでてくるが、四方投げとは言われていない。
これは仮説だけど、便宜上は「四方投げ」だったり「背負い投げ」「腰投げ」などと説明することはあったのだと思われる。
武道の特徴
武道練習と大きく異なるのは武器術の説明がある点だ。短刀、徒手対剣、剣対剣、銃剣などの武器での技が紹介されている。
1932年頃までに取られた竹下勇による稽古ノートにも武器術を稽古した記録はあり、太刀、短刀、槍、ピストルなど多様な武器を想定していた。
ただし竹下勇は特殊な状況下で習っていたので赤沢善三郎が述べていたように1937年に鹿島神道流を弟子に習わせてから剣の稽古が行われるようになったというのなら、それを機により洗練されたのかも知れない。
共通点
一を以て万に当たる道だという考えはどちらの本にも通じる理念として存在している。1928年に富木謙治が竹下勇にあてた手紙にも、すべての武術はひとつであるといった盛平の考えが記されている。
もうひとつの共通点は技の名前よりも状況の方を重視している点。このふたつの前提に立つと、植芝盛平は「技」ではないものに着目していたのではないかと思う。
技は忘れろという代わりに『武道練習』も『武道』も正面、横面、後ろなど四方からの攻撃や肩、袖、首、手首、後ろ襟などあらゆる場所を取られた状況を想定して組み立てられている。
竹下勇日記には対空手、対柔道、対剣、対槍、対ピストルなども出てくるわけで、戦前の合気道の根本はあらゆる局面で勝つための手法を研究していたと考えてもいいのかも知れない。
まとめ
そもそも大東流には数千の技があり、盛平の思想はそれらの技はすべて一に集約するというものだったので、同じ理念であらゆる局面に対処することを理想としたのではないだろうか?
つまり盛平にとっては大きい意味で技はすべて同じだと言いたかった節がある。だからこそ、技の名称にこだわらなかった。
ただ、習う側からすると迷惑極まりない話なので、今では色んな名称がつけられ分類されている。
それはそれとして本来はひとつであることを理想としたことも忘れてはいけないのかも知れない。