いつもいそがしい人たち
スピード。
科学の進歩で手に入れたもの。
あらゆるもののスピードは速くなり、移動時間は短くなり、動画を見る時間も半分で済むようになる。
でもスピードが上がって手に入れた時間を一体何に使うのだろうか。そんなエッセイを読んでいる。
そのエッセイが書かれた日付は1908年7月2日。ライト兄弟が初めての有人飛行に成功して7年後の話だ。
新型の蒸気機関車によってパリからの旅行時間が15分短縮され、彼らが何をやっているかと言えば別に何もやっていない。パリの素晴らしい車窓からの眺めが15分減った挙句、窓の外を見るでもなく、面白くもないのに印刷の悪い雑誌を眺めている。
100年前から人間がやっていることはほとんど同じだ。
世の中が便利になって、スピードと効率がアップして、それで私たちは、それによって一体何が得られているのだろうか。
100年前から比べて、私たちはいったいどれだけスピードが増して、効率的な世界に生きているのかと思うとめまいがするくらいだけれど、やっていることはほとんど一緒だ。
インターネットは革命を起こしたのだろうけれど、蒸気機関車と飛行機のほうが人類の革命のインパクトとしてはずっと大きいだろう。
インターネットも蒸気機関車も飛行機も人間のスピード、効率化には寄与しているけれど、100年前に車窓の絶景を見ないでくだらない雑誌を読む人たちと、どこにいようがスマホを眺めている私たちは何も変わっていない。スピードが増すほどに、大切なものを眺め、大切なことを考える時間がどんどん奪われているような気さえする。
みんながいそがしそうにどこか向かっている。
私たちは何をそんなに急いでいるのだろうか。
スピードを緩める勇気、立ち止まる勇気、窓の外をゆっくり眺める勇気。そんな勇気があれば、新しい世界が見えてくるかもしれない。
2倍速で移動していたら見えない景色。
2倍速で視聴していたら見えない映像。
そんなものを見るために、私はゆっくり歩きたい。
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