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好きなことで生きるよりも、自分ができることを好きになりたい

好きなことをやって生きるのは難しい。

まず、人生を賭けるほど好きなものを見つけられるかどうか。私を含めてほとんどの人は、それを見つけられない。

見つけたとして、本当にそれに人生を賭ける覚悟ができるか。20年、30年、自分の人生をささげることができる人はさらに少ない。

私の妻は、人生を賭けるほど好きなものを見つけて、20年以上、毎日人生の時間のほとんどすべてをそれに捧げている。

でも、それで食べていける人は本当に一握り。妻だってそのことで1円の収入もない。好きなことをして生きていくということを生活の糧を得ることにつなげるようとすると、好きなことをして生きるハードルはさらに高まる。

好きなことでいきていくために必要なこと。

1.人生を賭けるほど好きなものを見つけて
2.それに人生を賭ける覚悟をすることができて
3.実際にそれに何十年も人生を費やして
4.それで生活の糧をえる

この中で、だれもが4の難しさを言うけれど、1から3の方がずっと難しいと、私は思う。

好きなことをして生きていくというのは、例えばパトロンがいて生活の全てを面倒見てくれるといわれても本当に難しいと思う。

好きなことを見つけられたとして、本当にそれをやり続けられるのか。人は飽きる生き物だ。そして人は他者からの賞賛が無ければ満足できない生き物だ。

となると、

「好きなことをして生きたい」

というのは、多くの人にとっては

「好きなことをして、そのことを他人から賞賛を受けて、そのことで生活の糧を得る人生を歩きたい」

ということになる。
そしてそれはとても難しいということに誰もが気付くはず。


それよりも
「自分ができることをみつけて、それを好きになること」
のほうが現実的だと言ってしまうと、さすがに興ざめだろうか。

自分ができること=好きなこと
になると、自分ができることで生きていくことと、好きなことで生きることがイコールになりやすくなる。
そのことで賞賛を得られやすくなるし、それで生活の糧を得やすくなる。

それは当たり前のことのようにみえるけれど、20年仕事をしていると、自分のできないこと、苦手なことを仕事にして苦しんでいる人が本当に多いと感じる。


昨日たまたま見たnoteに張り付けてあったセカオワFukaseのツイートに同じようなことが書いてあった。何者でもない私より説得力がありそうなのでリンク。


自分が好きなことで生きていけるのが素晴らしいと思うのであれば、自分の出来ることを好きになればいい。

自分ができることが何もない、と言う人は、そのくらいは自分で探すしかないと私は思う。自分ができることまで周りの人に探してもらう人生はさすがにさみしすぎるだろう。

自分ができること、それを探して、それを好きになって、それで生きていく。

俺の出来ることをやることが、俺のやりたかった事なんだ

わたしが1200文字かけて書いてうまく伝えられないことを
Fukaseは26文字でさらりと表現できる。

出来るというのは、つまりはそういうことなのだろう。

他人が苦労していることをさらりとできる。他人が苦痛に感じることを苦痛を感じずに続けられる。少しでもその可能性があるものを探してみるといい。


そして、私は今もまだ、自分が出来ることを探しつづけている。
人生100年。今自分ができること、今得意なこと、今好きなことだけで生きるには、人生は少し長い。




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