20240215 アドバイスをしたがる心理
飲み会について調べてみると,「上司などから無意味な説教をされるのが嫌」「先輩から役に立たないアドバイスされるのがいや」などという意見をよくみかけます。余計なアドバイスに関する不快を「アドバイス罪」と秋万先生が命名されていたな~と思って検索してみると本になっているのですね。
【書誌情報】
あきまん 2016 アドバイス罪という考え方 ~あきまんのネットメディア百年戦争~. 一迅社.
ここでちょっと不思議なのが上記の本はISBNもついているのですがCiNiiで検索しても出てきません。あきまん先生がイラストレーターなので漫画扱いになっているのでしょうか?
アドバイスに関して,受けることの不快についてはなんとなく分かる気がします。掃除しようかな~と思いつつも手につかない時に「掃除しなさい!」と親に言われたらムカッと来ることについては「自発性が毀損されるから」という説明がなされるのではと思います。そのほか,アドバイスというのは他者に何かの行動を「他者の意思により」させようとするものであるために,外発的な動機づけであるために内発的動機づけを減少させるものであるともいえるのではと思います。
と,ここまで適当に書きましたが何か先行研究でもないかと探してみると以下の論文がみつかりました。
【書誌情報】
真下知子・山村麻予・三宮真智子・坂 香里 2014 女子大学生間のアドバイス場面における行動義務と心理的負担感の差異. 日本教育工学会論文誌, 38, 85 – 88.
ということで,アドバイスは,依頼,要請であり援助行動の一つと考えられているわけですね。そしてそうした援助行動が「おせっかい」や「余計なお世話」ととらえられてしまうのは非常に自然なことでもあるように思えます。
となると,アドバイスが援助行動の一つであると,アドバイスをしたがる心理というのは向社会的動機になるのか…確かにSNSなどで「~についてわからない」「~は何故かなあ?」と書いてあるのにFF外なのにリプライしてしまいたくなるのは「知識を提供したい」というものでこれは(相手にどう思われるかを棚に上げれば)向社会的動機によるものといえそうです。
しかし,飲み会などで行われるのは「年配として」「先輩として」という上の年齢から「自分の経験で学んだことを下の人に知っておいてほしい」という経験談的なものであることが多く,それが時代遅れだったりステレオタイプ的なものであったりして下からは呆れられるのが多いと思います。
そう考えると,飲み会での上司や先輩から部下や後輩へ語られるアドバイスというのはgenerativity欲求からなされている,といえるのだろうと思います。
これまで,「祭とgenerativity」,「飲み会とソーシャルスキル」の関連を検討したいと考えていましたが,「generativityと飲み会」という関係性も見ていかねばいけないなあと思いました。
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