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20230618 一人で行く祭 さだまさし考

 先日、さだまさしのファンクラブの人気投票アンケートについて書いたことをきっかけに、TTLさんからいろいろとコメントをいただけてさだまさしと祭について考えることが増えました。そして今更ですが気づいたのが、「一人で祭に行く歌が多くね?」ということ。
 恥ずかしながら私はさだまさしの全部のアルバムをもっているわけでもなく、また自宅の小さい画面のパソコンで色々調べるのが面倒なので、祭についてさだまさしが歌っていたな~とぱっと思いつく曲を取り上げただけなので標本抽出の面で非常に問題があるのをお許しください。さだまさしの全曲と全ライナーノーツ、全噺歌集や全小説を網羅したコーパスがあればいいのにな~と思ってみれば、やはりさだまさし研究会がいろんな大学にできるぐらいの「研究モチベーションが高まりやすい歌手」なので、すでに作成されている方がいらっしゃいますね~非公開なのが残念ですが。

 まあ、そういう研究に耐える分析を行うのは私よりもっとずっとすごいさだまさしの専門家にお任せして、今回はまず自分の印象だけでたどってみるにとどめます。

〇ほおずき 一人で行ったことを明言

〇都府楼 これも一人を明言

〇飛梅

祭ではないですが太宰府天満宮に一人来ている

〇精霊流し

 精霊流し自体は一人で参加するような寂しい祭りではないですが浴衣を一人でという歌詞などで一人要素があるなあと

〇月蝕

 これは精霊流しを歌った歌と思われて、テイチク時代の演歌の明るさもあり「群れなす人々」などで一人ではない歌と思います。

〇修二会

 修二会も二人で見に来ているようにとれる内容ではありますが、「青衣の女人の名を聞いて香りがゆらめく」なんてことは、逆に実際に誰かを連れてきていれば「ありえない」と思うのですよね。同じ境内にいる男女が、女人結界で女性だけ離れた状態にあって、過去の幻の女性の逸話を聞いたときにその一緒に来ている女性の香りを思い出すというのは逆になかなかないと思うのですよね。
 なので、主人公は一人で来ていて青衣の女人と同じ「幻」、自分の中の「女性像」と出会っているのだと思います。それだからこそ、「既に君の姿はなく」などの「そのあと一緒に帰る」などの現実性がまったくない歌詞が続くのだと思います。

〇おんまつり

 これも「指の冷たさ」で二人で歩いていることが暗示されていますが、あなたの存在感が皆無なのですよね。全然こちらに働きかけてくれない。
 修二会の「君の手は既に凍り尽くして」との歌詞の一致を考えると、この歌に歌われた女性も現実の具体的な女性ではなく、主人公は一人で来ているのではと思われます。
 このあたり、修二会もおんまつりも奈良を歌った「まほろば」のイメージに、悪く言えば縛られている、よく言えば本歌取りを意識した歌なのかなあと思います。

〇遠い祭

 この曲では基本的には祭の場にいるわけではなくてこれまでの祭の記憶を拾い集めて一人で追憶している歌なのである意味一人だと思います。

 私自身、さだまさしの曲で最初に祭イメージのある曲として記憶があるのが遠い祭で、あのもの悲しいイメージで他の祭の曲を聞いてきたので全体的にもの悲しいイメージが固定化しているのかもしれませんが、まあでもやはりさだまさし自身が祭に関してもの悲しいというか、どこか遠く、どこか「過去においてけぼりを食らっている現在」というイメージを持っているといえるのではないかなどと思ったりしました。

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