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20230114 祭をやめる心理
昨日は「今後も続ける予定であるが新型コロナで一時的に延期・中断することを決めること」について書きました。この問題は新型コロナの感染拡大が始まった2020年以降に急激に増加し,2023年も問題となると思いますがおそらく2024年ころには収まって「通常開催」がメインになるのではと希望的観測を込めて思っております。
しかし,新型コロナに関係なく,担い手不足などで「祭を今後行わない」中止・廃止の判断が近年多くなされてきているのも問題で,ここ数年で終わってしまう祭も結構あるのではと思っています。
研究者にとっては「維持要因」に目を向ける方が楽しくはあると思うので,「人口の減少」,「就労形態の変化」などの数的な資料が提示されることは多くても「でもそれでも維持できている工夫」などが紹介されることがメインになることが多く,「廃止の要因」「廃止のプロセス」について具体的で詳細な記述をする研究というのはそれほど多くはないのかなと思います(確実に廃止について研究したすごい研究がいっぱいあり自分のレビュー不足であることは理解しています。)
で,本日も維持に関する論文に目を通していると,「廃止」に関して結構詳しく説明されているのを見つけたので,本日はその「廃止」に着目してみたいと思います。
芳賀幹大・佐藤大輔・若松 英・王 嘉瑶・馬 詩維・郭 仕瑩・喜馬佳也乃・卯田卓矢・松井圭介 2020 地方都市における祭礼の維持形態に関する考察 : 鹿島神宮祭頭祭当番集落を事例に.地域研究年報, 42, 109 – 131.
1.石神集落の不参加に関する代表的記述の引用
・3月9日の卜定後,集落の中心人物が祭頭祭について話し合った後,石神の全世帯主を集めた会合を開き,「祭頭祭に参加できるか,できないか」という質問を設けたアンケート調査を行った.そこで,反対票が多かったために不参加を決定した.不参加に至った主な要因は経済的負担である.祭頭祭を行うには膨大な資金が必要とされるため,住民がそれに対して不満をもっている.加えて,会社勤めの住民は時間が取れないということもその原因の一つとされている.かつて石神ではほとんどが農家であったが,開発後次男・三男が働きに出るようになると,集落内の行事に割く時間が無くなり,イベントが行われなくなった.
・加えて,5,6人で手叩きをやるだけならたくさんの観客も納得できないのではないかという配慮もあり,中途半端な祭を行うくらいならば辞めたほうがいいという理由で祭頭祭不参加を決定したという証言もあった.
基本的には「経済的理由」「会社勤めによる拘束時間」などの要因があげられていますが,心理屋さんとして少し気になったのが「アンケートではなく対面の会議であれば不参加になったのか?」ということや「アンケートはどのように行われたのか?その文面は?」といったことでした。やはり対面での会議ではなくアンケート,しかもそれが匿名のものであれば不参加に決定しやすくなると思われますし,聞き方や選択肢などでも不参加の選択率は変わってくると思います。
あと「中途半端な祭を行うくらいなら」という気持ちも結構多くの祭で見かけた記憶もあり「継続はしているけどかつてとは違って胸が痛い。」などとなっている祭なども全国にはいろいろあるのかもしれないなどと思ったりもしました。
2.棚木集落の不参加に関する代表的記述の引用
第一に,棚木集落において60歳過ぎの独身者が多い他子供も少なく,新住民もほぼ組合に入っていないため,資金・人手不足の問題が深刻であること.第二に,老人会や消防団,育成会などの地縁組織は存在しているが,組織活動が停滞するため,住民たちの交流機会が少ない,地域のつながりが希薄化していること.第三に,農業に従事する人が住民の大多数を占めており,企業で管理職や役員に就く人がほぼないため,住民の中では控えめな人が多く,リーダーとなって指揮を執る人がいなかったことが挙げられる.
この「リーダーとなって指揮を執る人がいなかった」という点が気になりました。ある意味,「親から子へ」という継承は「継承へのモチベーション」が高まりやすいという側面には良く注目されますが,「親から子にならリーダーシップに乏しい人でも指示しやすいし受け入れられやすい。」という構造があったからこそなのではと思い始めました。
リーダーに不向きな人でも自分の子どもになら「祭やれよ俺の子の代で終わったなんてなったらはずかしいやんけ。」みたいに気軽に指示ができると思うのですが,自分の子じゃない人,しかも地縁でもない人にリーダーシップを発揮するのはやはり慣れた人ではないと難しいのは確かだと思います。
そう思えば近年目覚ましい発展を遂げている祭にはやはり魅力的なリーダーが存在することが多いのもまた事実だなあと思ったりもしますし,そうした魅力的なリーダーを生み出す素地やメカニズムを有している祭だからこそ維持され発展されてもいるのだよなあと思うこともしばしばなので,リーダーシップも今後色々とみていきたいなあと思いました。
先日は社会的アイデンティティの勉強をせねばと思っておりました今度はリーダーシップ論も学ばなければと思いを新たにしました。