見出し画像

20241109 査読に通りやすい研究テーマとそうでないもの(前編)

※以下の文章は,論文の業績も非常に少なく,学会の雑誌の編集経験も査読経験も少なく,ましてや海外雑誌の状況などまるで知らない無能中年研究者が自分の乏しい経験から無理やり妄想した内容となっていますので,決して信じることなく「無能研究者はこんな感じで考えて自分の無能を言い訳しているのか」を理解する気持ちで目を通せる人のみお読みください。

 研究なんて自分のしたいテーマに一心不乱に取り組んでいたら仮説の立て方や方法論などが間違っていない限り何らかの進展は得られるのだから査読の通りやすさなんて無駄なこと考えずに研究をしろ!というお怒りの声が聞こえてきて私もそう思います。しかし,同じような論文を書いてもそれが掲載されるかについてはかなり「査読者運」も影響すると思うので,今回は不幸にも査読者運に恵まれなかった人へのレクイエムとして「なるべく嫌な査読者がいるテーマを避ける手段」について考えてみたいと思います。
 これはもう簡単で,そのテーマで行われている学会大会の発表数と論文数を数えて,論文数を大会発表数で割った「掲載率」の高いテーマを選ぶのが「安全」ということです。少し低めとかなら気にする必要はありませんが,明らかに他のテーマより掲載率が低いテーマの場合,何かしらの構造的な問題を抱えていることが多く,その場合他のテーマで投稿したときよりもきついハードルを課される確率は上がるだろうというのが正直な感想です。そのため以下に掲載率が低くなる理由ともにその対策を考えてみたいと思います。

1.そもそもテーマ自体が長期的な研究に向かないものである場合

 これはどちらが原因でどちらが結果なのか分離しにくいのですが「修士や博士課程前期で終えて研究者を希望しない人が選びやすいテーマ」というものが結構あると思います。流行や一時的な現象に特化して取り上げていつの時代の人間でも共通する心性に関連しないものや,定量的な把握が困難で個性記述的にならざるを得ないが「他の研究者が行った記述の踏襲に拒否的反応が多いテーマ」などがこれに当たると思います。
 よく,「巨人の肩の上にのる」といますが,そうしたことを良しとせず,本質的には同じ現象なのに個々の時代の特殊性に注目するだけで時代を一貫した本質をみようとしない研究や,同担拒否や賽の河原のようにテーマを同じとする人の積み上げたものを崩すのに一生懸命な分野では,論文もリジェクト合戦になってつぶしあいに終わるのは目に見えています。

2.そのテーマを研究している査読の厳しい人がいる

 査読の厳しい人がいようと圧倒的にただしい論文を書いていればいいのでそんな人がいるというのは言い訳に過ぎないと思われそうですが,やはり査読が厳しい人がいると論文が通りにくいのは確かだと思います。
 このあたり,査読の厳しい人というのはある程度編集員会のメンバーなどは把握していると思うので,「あの人に毎回あてるとかわいそうだなあ」と思って配慮してくれることもあるでしょうが。同じテーマをしている人が少なく,かつその査読の厳しい人が業績があり確固たる地域を得たりしているとその人に当てられつづけることは多いと思います。
 ただ,,ポスター発表は多いのに論文が少ないテーマにおいて,安定的に論文を出し続けている人がいる場合…その人のみが圧倒的に優れているわけではなかったら,「その人が査読の厳しい人」である可能性があったりするかも…って思ってしまいがちですが,これは正直な感想あまりそういうことはなくて,論文が載りまくる人はあんまり査読は厳しくない気がしますが単なる妄想なので信じないでください。でも,なにかしら「落とされまくる雰囲気」のあるテーマというのはあるよなあと思ってはいます。
 あと,これはラジオ先生もTwitter(現X)で書かれてて私も自分の年齢による変化で実感していることとして,「若い人の方が全般的に査読は厳しめ」な気がして,博論を書き上げたくらいの人は本人の研究が一番波に乗っていて,またいろんな優れた研究をいっぱい見てきて目が肥えている時期でしょうから,そういう人が全力を出して査読をすると結果として査読は厳しいものとなってしまうのだろうなあと。
 しかしこうした「査読の厳しい人にあたりまくる問題」は避けうる可能性があると思います。基本的には査読者は「同じ大学出身の人は避ける」というのと共に,「共同研究などをしている人を避ける」というルールがあると思います。そのため,ある意味「査読の厳しい人と共同研究をしておくことでその人の査読を受けることを避ける」というテクニックもあるのではないかなあと思ったりします。
 この「共同研究をした人は査読を避ける」というルールは基本的に一度でも共同研究をしているとフラグが立って適用され続けると思うので,「この人の査読はうけたくない」と思った場合は何かしらのつてを使ってその人と共同研究してしまうのがいいのかもしれないなあと思います。
 あともう1つ書きたかったのですが時間が無くなったのでここまでを膳偏とさせていただきます。「こんな間違った内容ばかり書くな!」とか「あああ無能の勘違い文章笑える」などの反応をいただかない限りは後編を書こうと思いますのでお許しください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?