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20230409 祭自身の発達心理学

 何度も書いてきましたが私は発達心理学的な視点で「祭参加による社会性発達」の研究をしたいと思っています。これは,祭自体ではなく,祭に参加した個人の発達に関心がある研究になります。
 しかし,祭自体に注目すると,長い歴史を有する祭は基本的には伝統として「同じことを毎年繰り返す」ことが求められ,ある意味発達的な変化は「望ましくないもの」として処理されると思います。しかし現実的な問題として,時代に即して祭はその内容が変化するのが当たり前であり,その変化を追うことは「祭自体の発達」を理解することにつながるのではと思います。
 今回読んだ以下の論文では,神田祭の五十年の経年的変化を検討しており,そういう意味では神田祭の発達の研究と呼べるのではと思います。
 
秋野淳一 2015 都市祭りの経年的変化 : 戦後の地域社会の変容と神田祭五〇年の盛衰. 國學院雑誌, 116(11), 30 – 54.

  論文の概要を以下に引用させていただきます。

 戦後の都市祭りを対象とした先行研究では大都市部を対象とした研究が少なく、また同一の都市祭りを継続的に調査し、その経年的変化を追った研究がほとんどないという課題がある。ただし、神田祭は氏子町会全体を対象とした昭和四三(一九六八)年の薗田稔の調査、平成四年の松平誠の調査があり、平成二五年から四五年前と二一年前との実証的な比較が可能である。経年的変化を追うことができる数少ない事例といえる。
 そこで、本稿では、この神田祭に焦点を当て、平成二五年の神田祭(一部、平成二七年の状況も含む)について、昭和四三年、平成四年の調査からの変化を踏まえ、その特徴を実態調査のデータを基に解明する。

 なんとなくの印象ですが,古くからの有名な祭の研究をみると,祭が始まった大昔,明治あたりなどの状況,戦後の高度成長の時期,人口減の時代などのそれぞれの時代の記述がなされていて長いスパンでの歴史的な変化の考察を行っている研究はそこそこ数があると思います。しかし,それらは「最初と最後」の歴史の両極端への注目が多いのに対し,本研究は「現在につながる五十年の変化」に注目してくれたのがありがたいなあと思います。
 論文では「、町会の世帯数、お札の頒布数、神酒所の有無、祭礼の象徴(神輿や山車の数など)、主な行事、役割動員(祭りの組織)、一般動員(祭りの担い手)、行事経済(寄付の金額など)、行事変化、祭りの評価、神社イメージ」とさまざまなものの経年変化が考察されていますが,ここでは私の関心に近い「一般動員(祭りの担い手)」のみに注目することにします。
 担い手として「神輿同好会」については五十年変化なく密接な関係にあること,「他町会の参加者」についても昭和43年のころから一定数の参加があること,「女性の参加者」は増加傾向であり「女みこし」の増加もみられることなどがまとめられていますが,一番面白いと思ったのは「町内企業の参加」だったのでそこを引用させていただきます。

[町内企業の参加]
 平成二五年の町内企業の参加は、美土代町(会社員四〇~五〇人)、司一(城南信用金庫一〇人)、多町一丁目(城南信用金庫神田支店約二〇人)、多町二丁目(会社員約五〇人)、鍛冶三会(三菱銀行三〇人)、須田町中部(西武信用金庫一三人)、須田町北部(りそな銀行三〇人、新日鉄興和不動産二〇人、JR東日本ビルディング、JRステーションリテーリング、みずほ銀行二〇~三〇人)、鍛冶町一丁目(山梨中央銀行三〇人)、鍛冶町二丁目(徳力本店一〇人、神田通信機二〇~三〇人)、須田町二丁目(向井建設四〇~五〇人)、佐久二平河町(UFJ銀行八人・三協化成一三人・パセラ一人)、(山崎製パン三〇〇人、本間組二〇人、田島ルーフィング二〇人、貝印一〇人)、和泉町(YKK一〇~一五人と凸版印刷一〇~一五人を含み企業四〇~五〇人)、室町一丁目(企業:宮入二二人、町内渡御一二一人)などでみられた。岩本町三丁目では、昭和四三年は八割が町内の店員であったが、平成四年は町内会員外が五九・六%、平成二五年は企業の参加者が七〇%を越えた。特に、山崎製パン社員三〇〇人の参加者に占める割合が高い。一〇〇〇人を超える会社員が参加する大手・丸の内町会の史蹟将門塚保存会大神輿に近い。「神田藪そば」などの老舗が立地する須田町北部では、町会の戦略として、三〇年前に神輿同好会を頼みにすることから脱却し、企業を巻き込んでいく方針に転換した。鍛冶町一丁目、鍛冶町二丁目、須田町二丁目、紺屋町南では、平日にしかいない企業の会社員を巻き込もうと金曜日の神輿巡幸を行っている。栄町では、地元企業の取り込みを図り、金曜日の夜に「ふれあい広場」を神酒所前で開いて企業会員と親睦を図っている。金沢会では、金曜日の夜の神輿巡幸を一〇年前から始め、蔭祭の年は企業との懇親会を神田祭の時期に開いている。
 町内に有力な企業がある町会では、祭りの担い手も企業に特化したり、祭りを通じて企業との関係を良好にしていこうとする町会の戦略が窺える。町会は、企業を取り込むために、金曜日の夜の祭り(神輿巡幸・懇親会)や蔭祭を実施していることがわかる。

 この企業の参加者数はすごいように思えるのですがどうなのかなと。参加者数でいえば,博多どんたくなどは大企業だと数百単位で参加するのでそちらの方が多いと思いますが,どんたくの場合は「パレード要因」なので,祭参加とはまた違うように思います。神田祭への企業の参加はどのような感じなのか知ってみたいと思います。
 そういう意味では日本で一番の参加者数を誇る「山崎春のパン祭り」を開催する山崎製パンが300名の写真を動員していて,山崎製パンはお祭り好きなのかなあと思ったりしました(笑)。
 
 しかし,こうして企業などの参加者が増えることで,「その地に住んでいるけど祭に参加しない・できる雰囲気になりえない人」の立場がどうなるのか,というのはやはり気になります。その件について,以下の部分を引用させていただきます。
 

おわりに
  昭和四三年の薗田稔の調査からおおよそ五〇年が経過した平成二五年(及び平成二七年)の神田祭は、地域社会の祭礼の実施機関である町会の昔からの住民が減り、マンションの建設によって新住民は増えても、町会の神田祭を下支えする人たちは増加しにくい現状がある。にもかかわらず、祭りは衰退するどころか、かえって拡大し盛んになっているようにみえる。例えば、「御霊返し」といった祭儀の部分は、人的要因とタイミングによって選択され、選択できない場合は現状維持ないし縮小する傾向がある。その一方で、町内企業に見せ、取り込みを図る金曜日の祭りや蔭祭、連合渡御や宮入など、「見せる要素」のある祝祭の部分が拡大している。

 この記述からは,祭が「見せる要素」の面で発達していっていて,ある意味「インスタ映え」的な変化を示していることが分かると思います。そして祭自体は拡大しているけれども「その地域の住人の人数の中で祭を下支えする人数自体は減少している」こともここで説明されていると思います。
 これは結局,「その地域の上澄み的な人」と「地域外の上澄み的な人」のみが祭に参加出来ていて言っていることの表れに思えてしまうのもまた確かなのですよね。
 この傾向は神田祭や東京の祭りだけでなく,京都の祇園祭なども博多祇園山笠でもそうだと思うので,どうにかしてそうした傾向の存在について心理学的にまとめたいと思っております。

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