見出し画像

20241214 アジア人に対する偏見=機械的?

 アジアの人が受ける偏見や差別というとどのようなものがあると思いますか?
 
 三流研究者ですから外部資金もほとんど確保できず,そのため海外の学会に参加することが少ないのであまり海外体験がないからか,あまり海外で差別的な行為をされた記憶はありません。
 一度ギリシャで服を汚されそのすきにカバンを盗まれそうになったあと,なんとか無事に切り抜けて少し離れたところで泣きそうになりながらスーツケースにカバンを入れようとしたらその若者が近づいて来て,あっかんべ~お尻ぺんぺん,みたいなことをされたことはありますが,これは「アジア人は弱っちょろいから大丈夫」となめてかかられたのであり,偏見や差別とはまた違うような気がします。
 昔からあるのは「イエローモンキー」で,アメリカで中島みゆきがアルバム『中島みゆき』をレコーディングした時,収録曲の「黄色い犬」の歌詞を読んだ現地メンバーは何を思ったのかな?などと想像しますが,この「イエローモンキー」は動物的な偏見だと思います。
 そんな感じで,白人が有している他の肌の色の人種への偏見や差別意識は「動物化」「野蛮なものとみなす」だけなのかなと思っていましたが,別方向の「機械化」という方向があることをJPSPの論文のタイトルをみていて気づきました。
 
【書誌情報】
Bai, H., & Zhao, X. (2024). Asian = machine, Black = animal? The racial asymmetry of dehumanization. Journal of Personality and Social Psychology, 127(5), 1038–1061.

https://doi.org/10.1037/pspi0000455

 論文のタイトルは,「アジア人=機械、黒人=動物? 非人間化の人種での非対称性」とでも訳せると思いますが,「アジア人=機械」という見方があるようです。
 以下,機械的なイメージに関する記述を引用します。
 

 アジア人は工業的、有能、効率的であると信じられている一方,創造性,主体性(自己主張の面で)、社会的および感情的なスキルが欠けていると認識されています。アジア人は有能だが対人関係の温かさに欠け、考えることはできても感じることができないというステレオタイプは、機械的な非人間化の概念化と合致します。
 アジア人に関するこれらのステレオタイプは,非人間化の文献でよく使われ,感情的で攻撃的であるという特性を体現している類人猿のアナロジーとは矛盾しています。
 社会学的に言えば、多くのアジア文化では、順応性、調和、均一性が賞賛され、労働市場や現代のグローバル経済において、アジア人は反復的で機械的な労働が必要な役割として採用されることが多く、西洋社会におけるアジア人の機械的な非人間化を潜在的に支えているとされます。これらの考えと一致して、Bain et al.(2009)は、白人オーストラリア人が機械的な非人間化に関連する特性(例、無感情)について中国人を動物的な非人間化に関連する特性(例、失礼)よりも高く評価し、ロボットに関連する単語を暗黙のうちにアジア人の顔画像と白人の顔画像よりも関連づけることを発見しました。

 なんとなくですが,日本人は「情」を重視するけど欧米の人は論理的な思考ができるイメージありましたし,あまり「機械的」なイメージはありませんでした。また,確かに欧米の人の方が感情豊かでエネルギッシュなイメージがありますが,それは「感情が外にでている」イメージであり,内側の豊饒さはアジア人の方が深そうなイメージがありました。なので,上のようなイメージがあるのは意外でした。
 他の人種と自分の人種を比べる際に「動物的」かどうかという物差しは「猿」の視点が社会学で一般的なように自分の中にも正直ありましたが,「機械的」という物差しは全然なかったので,そういう物差しがあること自体にまず驚きました。
 まあ,方法をみるといきなり「動物的」と「機械的」の物差しを提示した上で尋ねているので,人々の中に自然に「機械的」という物差しが存在するかはこの論文からではわかりませんが,興味深い視点を与えてくれた論文でした。
 JPSPは1論文に込められる研究数が多すぎて読むのはすごく骨が折れる雑誌なので全然読めておりません。JPSPだから優秀過ぎる某先輩が読んで分かりやすくNOTEにあげてくださる可能性ありそうなのでそれを待とうかと。
 

いいなと思ったら応援しよう!