20231228 博多の酒のルール
祭に興味がありその中でも直会に興味があるので飲み会全般に興味を持ち始めたことは最近書きました。
で、今日は大学に行けず自宅にいるので資料が全然ない…まあでもこんな機会だから自宅にあるわずかな資料をゆっくり読み込むことにしますかねと思い、『博多山笠記録』にターゲットを絞ります。
博多祇園山笠振興会 1975 博多山笠記録. 博多祇園山笠振興会
これに、直会や飲み会のルールとか書いてあればいいのにな~と思いついて探してみることに。
1.若者組に入るときの持参物
最初に出てきたのが「子供組」から「若者組」に入るときで、山笠の当番町などの関係で早まることはあったとしても基本的には十五才で若者組に入り、その時に酒一升を持参することが多かったようです。このルールに似たものが存在する地区として、呉服町流、下小山町、櫛田流、恵比須流、東町流、大黒流、浜流大浜四丁目が該当するようです。
そのほか、酒の代わりにお金でも可能なところや、饅頭百個(上堅町)などを持参するとこともあったようです。
お酒をもって若者組に入るのですから、その時から飲めるのかと思えば、入りたての若者は「七輪あおぎ」というおそらく酒の燗をつけたり食べ物の煮炊きや給仕などをする役をして飲むことはできなかったようです。
これは現代の山笠の直会の様子などをみていても、中学生くらいから直会の場にいることはありますがさすがにお酒は飲めませんのでビール配ったりする役をしているのを見た記憶があります。そういう意味では、直会の場で「最初に酒を飲ませてもらえるとき」というのがいつどんなタイミングだったのだろうとか興味津々だなあと。まあ、いろいろコンプライアンス的に厳しい昨今ですと成人を待ってになるのでしょうが。
2.若者組専用の(お酒用の?)什器の存在
また、昔は若者組用の什器が存在していたようで、戦争中の疎開や空襲などで残り少なくなったがまだ現存はしているようです。そういえば現在でも、山笠の詰所の入り口に「〇〇町若中」と書いた看板を掲げているところが多いので、詰所というのは基本的には若者組のためのものであるのかもしれません。
3.若者のおきてのなかのお酒
そのほか、若者組のおきてという項があり、「一般には特に目立ったものではないようであるが」と記載されていたのでさほど明確なルールというのはないのでしょうが、綱場町の例として「若手に入ったら絶対に芸者遊びはしてはならない。酒は飲め、飲めない者は飲みならえ、湯呑みでは間に合わぬものは茶碗でやれ。」というルールがあったようです。
「飲みならえ」が「飲み倣え」で飲んだふりをしろというのであれば、その当時からさほど強制ではない感じだったのかなあと思いますが実際のところどうだったのかなあと。
4.山笠の祇園入り
7月1日は当番町お汐井取りの日のイメージですが、そのほか辻祈祷などの神事を全部ひっくるめて「祇園入り」という言葉があるのですね。確かにお汐井取りしてから櫛田神社に行くのだから山笠ではなく参加者の櫛田入りであるなあと。
その際、「直会は「こぶ、するめ」、お御酒と小さい「お〆縄」を一軒一軒配る(大黒流)」とあるので、各家庭にお酒も配られていたようです。
5.「手びしゃく」で酒
普通の日は、事務所で「ぜんざい」「巴旦李(はらんきょう)」「山桃」などを食べた。ただし山を舁いたあと、当番町は、「こぶするため」のほか「塩梅」を「もろぶた」に入れ、「半切」に酒を入れて出した。各自手びしゃくで飲む(博多五丁)
「巴旦李(はらんきょう)」はすももかもしれません。
「こぶするため」???
「もろぶた」これはお餅などを入れるようなケース上のものだと思います。
「半切」これはお酒を入れる桶のようです
山笠の時、一升瓶を回し飲みしているのを見かけた記憶がありますが、確かに柄杓に入れたのを回し飲みしているのも見た記憶があります。
6.年寄りが酒の準備をする
だいたい五十才以上を「年寄」と呼び、中年、若手が「汐井とり」から帰ってくるのを迎えるために「お神酒」を用意した(恵比須流)というのがあったようです。
こうして山笠の酒のルールを本から探ってみましたが、やはり本当の直会で直接ルールを教えてもらいたいなあと。どこかで取材させてもらえるといいのにな~。