20231029 祭と暴力 禁じられた暴力の向かう先
魚吹八幡神社のちょうちん練りでちいかわのちょうちんが叩き壊される様子がSNSで拡散された結果炎上したことについては先日このNOTEで書きました。
そのあおりを受けてサンテレビの「晩秋の秋祭り」で魚吹八幡神社分の放送がなくなってしまったのは残念無念ですが、おそらく来年以降は無難なちょうちんを用いたちょうちん練りになると思いますし、それで参加者も見学者も得られる楽しさは変わらないと思いますので、人の噂も七十五日を過ぎれば首尾よく終わるのではないかと思います。
祭と暴力に関してはこれまでもいろいろな研究がなされているくらいある意味「つきもの」なのだと思いますが、「脱暴力化」に注目する研究を目にすることが多かったので、どの祭でも脱暴力化がメインなのだと思いました。
しかし、今回のちいかわ騒動に関して出された魚吹八幡神社の声明をみても
という説明があり「戦後激しくなり暴力的になってきた。」というのは間違いないのだと思います。
また、先日松原八幡神社の灘のけんか祭を見に行った際に現地の年配の方がされていた話からして、灘のけんか祭に関しても近年暴力性を増してきているのも確かなのだと思います。
なお、ここでまず強調しておきたいのは、ここでの暴力性は「神の依り代とされる提灯やお神輿に対して」であり、今年私が見てきた限りですが対人間の暴力などは全然奨励されておらず、そのような現象は確認できなかったことを先に記しておきます。
そんなことを考えると、これまで祭の場で頻繁に起きていた「参加者同士のけんか」が西洋化などで禁止されていく中、祭参加によってどうしても盛り上がってしまうボルテージの行き場として祭の中だけで許される「神様の依り代への攻撃」が選択され、それが先鋭化していったのかもしれません。
また、これは民俗学の人などの専門的な研究がないかを探してみたいと思いますが、松原八幡神社の秋祭りが「灘のけんか祭り」と「けんか祭り」として称されて来だしたのは歴史の中のどのくらいの時期からなのかなあと。
まあ、時期はいつからかは不明ですが、近隣の松原八幡神社が「灘のけんか祭り」という名称で周辺地域への知名度を高めていくと、同じ歴史を持つ魚吹八幡神社の氏子たちが「こっち負けたくないから何かけんか的で派手な要素を増やしたい!」と思い、「けんか的な練りあわせ専用の神輿を用意するのは完コピのマネになって嫌」「でも豪華絢爛な屋台をけんか的に練り合わせて壊しては大変」「では壊れてもよいちょうちんを激しく練り合わせてはどうか?」という影響関係があったのではなどと妄想したりします。
このあたり、福岡の山笠が「ハカタウツシ」として博多祇園山笠の模倣で伝播していった様子と比べると、播州の秋祭りは屋台にだんじりに布団太鼓にちょうちんに幟にといった感じで「播州という地域としての類似」は認めるものの、「近隣地区での類似」は嫌がってそれぞれの独自性を出そうという感じがするのですがこれはほぼ今年初めてみた初心者なのでそれぞれの違いにばかり目が行って共通点を見いだせていないだけでしょうか。
でも、そういう意味で「他地区との違い」というものを考えた際、雅さが強調される京都の祭や、伝統的な祭があまり宣伝されず異国の祭への注目がなされやすい神戸などの摂津の祭との違いを明確化するらために、「反みやび」「伝統を失った現代的な祭への反発」として、「攻撃性が残った祭」への意識が高まったというのもあるかもしれないなあと。
まあでも何度も書きますが「参加者同士の暴力」は本当にみられなくて、そうしたものが現在でも残っている祭とは違うので、そことの比較もしてみたいなあと思い始めました。