20240817 盆と墓じまいの未来予測
ど田舎出身の両親のもとに生まれ,その地の盆の風習を教え込まれてきた私なので,盆というものが年中行事としては正月と並び称されるほど重要な物であり,日本全国津々浦々でこの時期は誰もかれもが休みを取るようなイメージがありました。
盆休みには大混雑や渋滞に揉まれながらなんとか田舎に帰省し,ど田舎の気密性と防音性ものかけらもない柱と障子と襖しかない家で蒸し暑さと虫食いと虫の音になやまされながらすごし,みたこともない巨大な野菜が煮詰まった茶色い料理を飲み込みこんで…けれども草木と田畑しかないこの田舎のどこに潜んでいたのだと思う大量の親類縁者がわらわらと押し寄せてきて自分を個別に認識して声をかけてくれて名字の流れの中に位置づけてくれる…そういうところで小さいころからgenerativity感覚を得ることができるのが田舎の帰省のメリットなのではないかと思っていました。
しかし,大学に進学して関東の人などと触れ合う機会が増えて「生まれも育ちもTOKIOだから帰省という文化がうらやましい」みたいな報告を受けて,田舎に帰省して過ごす盆休みというものが普遍的ではないことを知って驚いた記憶があります。
しかも,東京などでは盆は存在しても七月に行うようで,その場合代々東京生まれ東京育ちの人たちは八月のこの時期を「盆でも何でもない時期」として過ごすことを知り,盆という時期でさえも普遍的でないことを知って慌てた記憶もあります。
八月前半の時期は,広島長崎の原爆記念日くらいから終戦記念日にかけて戦争について考えることが増え,盆の行事などと相まって「一年で一番生と死について思いを寄せる時期」であると思っていました。しかし7月に盆をする東京などの人にとっては,戦争の記憶の想起と盆が重ならないため,生と死に関して考える強度が他の地方とは異なるのではないかなあと思ったりしました。
現在,東京のタワマンの価格などは庶民が買えるものではなくなるほど高騰していますが,東京への一極集中の流れはとどまることがないと思います。そのため,「東京生まれ東京育ち」の比率が高まっていけば,思ったより近い未来に「7月に盆を行う人の数が全国で最も多くなる」ようになると思います。そうなった場合,「盆=7月」というイメージが強くなり,地方民が八月の今頃に盆休みをとることが今よりしづらくなってしまう可能性があるなあとふと思いました。
次に,私が帰省先で小耳にはさんだ話を以下にあげてみます。
田舎A「墓参りにはいきましたか?」
田舎B「昨日(8月15日)に行っただけです」
田舎A「あなたのお墓のあるところは坂がきついけど大丈夫だった?」
田舎B「手すりがあるのでなんとか…でも母はもう登りたがりませんでした」
田舎A「そういうので最近は納骨堂も増えましたねえ。」
田舎B「墓じまいを…でも納骨堂もお参りする人が減ってきました。」
ということで最近「墓じまい」という言葉を耳にすることが増えていて,おそらくですが今後のお墓事情を不安に思い今のうちに老人世代の不安を高めて永代供養の名目でお金を回収しようとするスキームの顕在化とともに「墓じまい」というフレーズが多用されるようになったのだと思います。
Googleトレンドで「墓じまい」というワードで検索すると2010年くらいから安定して増加し続けているのが分かると思います。
上では商魂たくましいように書きましたが,現在田舎には老人世代しかおらず,その子や孫は都会に骨をうずめる覚悟を決めている場合,墓じまいをしなくてはいけないのは子や孫の世代としても確かなので,両方の需要があるからこそこれだけ安定した増加を示していると思います。
【書誌情報】
月刊住職 2024 墓じまいの蔓延と離檀料請求で一体誰が救われるのか実態検証. 月刊住職, 26(7), 18 – 25.
そういう意味では,『月刊住職』という当たり前ですが住職側の立場に立った雑誌の記事で「墓じまいの蔓延」という表現がなされているのは面白く,住職側の視点を知るためにも読んでみたいのですが無料では読めないのが残念無念。大学の図書館で定期購読してくれるといいのに…。