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マウントおじさんという病

僕が公務員の頃の話だ。

役所はマウントおじさんの巣窟で、立場や年次を利用した上から目線の会話や高圧的な指示などにあふれていた。当初は違和感があったけど、少しずつなじんでいき数年後には自らもマウントおじさんの一員となっていた。

役所を辞めた後、自ら事務所を運営する立場になった僕はマウントスタイルを引きずったままだった。そしてそれが見事に通用しないことを知った。人が次々に辞めていったのだ。

当初はなんで辞めていってしまうのかよくわからなかった。それに、なぜ僕の言う通りやってくれないんだろう、なぜ積極的に動いてくれないんだろうとも思っていた。でも何人か辞めていってしまった後、自らに重大な問題があることに気付いたのだ。

僕は、自分自身と事務所の人とを上と下の関係でしか見ていなかった。

役所時代にまとわりついてしまったマウントスタイルは、僕と事務所の人たちとの関係をとても不自由な関係に押し込めてしまっていたのだ。

僕は自らを改めた。プライドとマウントスタイルをかなぐり捨てた。

長い時間がかかったが、少しずつ事務所の上・下の関係がなくなり、ワンチームになっていった。自分自身も含めて、みなが解放されたように自由に動きだしたのもその頃からだった。

僕は、この自らの経験と、また様々な組織や人を見る中で、日本を蝕むマウントおじさんという病を考えるに至った。

役所にも地方のいろんな組織にも、あるいは民間の会社にも、マウントおじさんという病がある。その病は人から人に伝染し、マウントおじさんが再生産されるという実に厄介な代物である。しかも、いろんなところに再生産の仕組みが埋め込まれている。

例えば会社という組織において、「社長」や「課長」などの役職は単なる役割を表す記号である。しかし社長の方が偉いとか誰が誰より偉いといった上下の関係が当たり前のように蔓延っている。「上司」や「部下」といった言葉には「上」と「下」が埋め込まれていたりもする。無自覚のうちに、マウントし、またマウントされてしまうのだ。

先日、マネーフォーワード社長の辻さんが役職は役割にすぎないとあえて書いていた。それをあえて書かないといけないくらい、まだまだマウントおじさんという病が僕らの社会に広がっているのだと思う。

https://note.com/yosuke77/n/n74669060e667

マウントおじさんという病は不自由な社会の象徴みたいなものだが、まだまだいろいろなところにこびりついている。しかも美徳やリーダーシップと結びついて見えにくい存在にすらなっている。

僕らが自由になるためには、この病を注意深くかつ忍耐強くあぶりだして対峙していかなければならないと思っている。


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