ロールモデルなき時代へ
エンパイアステートビルというニューヨークの摩天楼を日本の会社が買収した1990年初頭は、会社中心に社会を組み立てた日本が最後に輝きを放った時期だろう。
その頃までに、会社を中心として学歴社会、新卒一括採用、終身雇用、定年、年金生活などのロールモデルが形作られていた。このロールモデルの中では個々人の自由がいろんな形で制約されたり、会社に長い時間を捧げたりすることが尊しとされたけれど、それでも長期的な安定があまりある報酬として約束されていたように思う。
しかし、今やそんな約束は風前の灯で、かつての摩天楼も蜃気楼のようにぼんやりしたものに変わりつつある。
一つ一つのパーツにガタがくるたびに手直しが加えられた。前に触れた副業の問題、働き方や社会保障を巡る問題などだ。だけど、もうそういう手直しではやっていけないことは明らかだ。
例えば、会社員の終着点である定年は今年いよいよ70歳まで延長されるが、誰もメリットを感じられないどころか働く時間を強要されているようで息苦しくすらある。終身雇用はトヨタや大きな会社の経営者からもう無理と突き放した声が出はじめた。新卒一括採用はコロナ禍で再び就職氷河期を生んでしまいかねない。学歴社会はとうの昔に意味をなさなくなっているのに、それを前提とした教育から離れられない。
僕らが今考えなきゃいけないのは、会社を中心に組み立てた社会そのものの転換だ。新しいロールモデルを作るという考え方も変えなくてはいけないのかもしれない。
その先にあるのは、個々人の自由が中心にある社会だ。ロールモデルなき時代に、ベーシックインカムが一つの礎として自由を支え、それを起点としてたくさんの生き方と情熱が世界に広がっていく。そういう社会を目指すのだ。