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宗教観について
私は、東京の下北沢で「般°若(パンニャ)」というカレー店を営んでいます。御察しの通り、この店名は「摩訶般若波羅蜜多」の元となった「マハー・パンニャ・パーラミータ」の「パンニャ」という部分を漢字で書き、パーリ語の発音に近づけて読んでいただけるように「般」の字の右肩に半濁点をつけたロゴにしました。カレーもインド発祥と言えるでしょうし、仏教における「叡智」が、スパイスを使って健康や食欲を増進する「知恵」にも通ずると、いささかこじつけめいた理由からこの店名にいたしました。
私たちの周囲には、仏教から生まれた文化や習慣、言葉などが溢れているので、このような使い方も罰が当たらないのではないかと図々しく拝借しております。とはいえ、仏教についての知識は乏しく、毎日その道を歩んでおられる皆さんに何かものを言える立場ではありませんが、そこはかとなくぼんやりとした印象や思いのようなものを綴ろうと思います。
私は、いわゆる無宗教です。信仰心があるのかないのかも判然としない、いたって宙ぶらりんの精神状態です。よく言われるように、大多数の日本人に含まれる状況だと思われます。お盆だと言って休みを取って、秋にハロウィンで馬鹿騒ぎをし、クリスマスになるとキリスト教の慣わしを楽しみ、大晦日にお寺で除夜の鐘を聴いて、正月に神社に初詣という人も多いのではないでしょうか。例えば、世界中の三分の二の人々がいると信じている「神」という存在のことも理解すらできておらず、一人なのか、数人なのか、八百万なのか、全くもってイメージが膨らむばかりで、信じようにもどこにその思いを寄せればいいのかわからず、混乱するばかりです。「神様、仏様」という決まり文句がありますが、仏教にも「神」がいるでしょうし、違う宗教間でも同じ神様を共有している場合もあります。
そもそも「宗教」というものがなんであるか、ということを考える機会が多いご時世となりました。世界が前例のない形で分断されたり、宗教の名を冠したテロルの組織に世界中が脅かされたりしています。日本でも、富の固定化、貧富の格差が進んでおり、悪いエネルギーが人々の心に滞留し、その内圧が高まっているようにも感じられます。
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