#36 予測不能の相転移へ
高校時代は剣道部員として過ごした。出来の悪い部員で、つまり弱かった。団体戦では松尾に回るまでに決着を着けてしまおうとの戦略で、いつも大将に据えられた。それでも個人戦で何度か勝ったりすると気持ちよくなって練習にも身が入るようになった。
コロナ禍を境に肥満解消のため、筋トレと食事管理を始めた。今年で3年目になる。2年目くらいから弛み切っていた体が締まって来た。その間に懸垂が出来るようになり、比較的ハードと言われる立ったまま腹筋ローラーを行う立ちコロが出来るようになった。高校時代に剣道をやっていた時にも感じていた事だが、トレーニングをしているとそれまで出来なかった事が突然出来るようになる瞬間がある。相転移だ。今回は、人の成長とは相転移であるという話をしようとしている。
言葉の使い方を間違えていないかを生成AIで確認したところ、相転移とは「水を冷凍庫に入れておくと氷になり、水を温めると沸騰して水蒸気になるように、同じ物質でも環境(温度や圧力)によって物質の様態が変わる現象」、「昆虫の卵が孵化し、幼虫・さなぎを経て成虫になるように、一つの相が熱エネルギーを得て昇温してゆく過程」とある。
人の成長は小さかったものが連続的に大きくなるようなものではなく、ある臨界点を境とする不連続な変化、つまり相転移であると私は感じている。相転移、無理やり言い換えれば「気づき」に近いだろうか。山を登っていて一つの峰を越した瞬間、壮大な景色を見下ろせたような、そんな感覚だ。相転移が起こるとそれまで見えなかった景色が見えるようになる。剣道で言えばそれまで出来なかった連続技が突然決まった瞬間、その後の多くの勝利への道筋が見えて来るような感じだ。楽々と懸垂が出来るようになった瞬間にも、広背筋トレーニングの展望が一気に開けた。
人の成長が相転移であるならば、相転移はいつ起こるのか。結論から言えば「踏み出し続けた時」である。未知の領域へ足を踏み出し続けたその先に相転移は起こる。「未知の領域へ足を踏み出す」とは、つまりはチャレンジである。宗教的に言ってしまえば求道だ。それによって、それまでとは別のフェーズの自分へと変化することが出来る。仮に人がどれだけ大人になっているかを計る目盛があるとすれば、それは相転移の回数である。踏み出し続けた回数と相転移の回数は、たぶん比例する。先の見渡せない状況を悲観するよりも、一歩踏み出して予想も出来ない相転移に胸ときめかせながら一生を過ごしたい。そう願っている。
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