39 了解する力:豊かさの描き方
さて、コロナ禍は波の様に寄せては引いて、次第に私たちの生活から影を薄めつつある。東日本大震災の時の昂揚した結束感がいつしか影を潜めたように、コロナ禍の記憶もまるで無かったかのように消えて行くのだろうか。全世界に感染が広まった2020年、TVインタビューに応じる多くの人が、大事な事を先送りしない生き方を選択したいと答えていた。巣ごもりの家の中で、多くの人が真摯にこれからの生き方と向き合った。
さだまさしの「風に立つライオン」の歌詞に「やはり僕たちの国は残念だけれど 何か大切な処で道を間違えたようですね」とある。学生時代に初めてこの歌を聴いたとき、一体何がどのように間違っているのかが、まったく見当が付かなかった。しかし今なら大雑把に一言だけ言うことが出来る。現代社会の「間違い」とは、経済という幸福への「手段」を目的と取り違えて来たことだ。幸福や豊かさの描き方の間違い、と言い換えても良い。
先日、ノーベル物理学賞に「量子もつれ」の研究者3人が選ばれたとのニュースがあった。量子力学にはボーア、ハイゼンベルク、シュレーディンガーという3人の先駆者がいる。それぞれがノーベル賞受賞者だ。彼らは皆、仏教や東洋哲学にその発想の源を得ている。実際にシュレーディンガーはこう言っている。「量子力学の基礎になった波動方程式は、東洋の哲学の諸原理を記述している」と。量子力学の進歩は東洋哲学の科学的証明でもある。
800年前のある仏教者の言葉に「先(まず)臨終の事を習(なら)うて後に他事(たじ)を習うべし」とある。まず正しい死生観を学びなさい、その他の事は二の次であると。その上で、生命は今世限りのものではなく、永遠に続いていくと説いている。生と死は生命の時々の変化相なのであると。波は、海面に生まれては消え、また生まれる。それは海の変化相であり、波が消えたからといって海が無くなるわけではない。これからの幸福・豊かさを描くためには、経済だけではなくそういったホリスティック(全体的、包括的)な死生観に立つことが求められる。
東洋哲学の駆動は量子力学にとどまらず、経営学の分野にも及んでいる。ものごとを原因と結果として定式化し「理解」しようとする、西洋的な要素還元型のアプローチでは解決できない問題群があったのだ。東洋哲学では世界を「相関性の総体」として捉え、西洋的な要素還元型のアプローチが求めた「理解」ではなく、あるものをあるがままに、そのようなものなのだと「了解」する。「なぜそうなのか」ではなく「幸福の実現のためにそこからどう行動を起こすか」を問う。
経営学者で、知識経営の生みの親として知られるカリフォルニア大学バークレー校特別名誉教授の野中郁次郎は、その「了解力」を「個別具体的な場面のなかで、全体の善のために、意思決定し行動すべき最善の振る舞い方を見出す能力」(フロネシス<知慮>)と説いた。野中は『失敗の本質―日本軍の組織論的研究』(1991年/中央公論新社)の一項を著したが、のちに福島原発事故独立検証委員会委員として活動した際、首相官邸と東京電力の対応を検証し、『失敗の本質』で28年前に指摘した日本軍の失敗の原因である「フロネシスの欠如」を目の当たりにしたと語った。
まずは物事を相関性の総体として「了解」し、その上で「全体の善のために、意思決定し行動すべき最善の振る舞い方を見出す」。
火事になった家の中で気づかずに遊ぶ子供たちを助ける術は、なぜ火事になったのかを子供たちに問うて理解させることではなく、方便を用いてでも子供たちに外へ出る事を了解させることである。法華経では「三車火宅の譬え(さんしゃかたくのたとえ)」として子供たちを救う父の話として説かれている。同じく私たちが「間違い」から抜け出すために描くべき豊かさや幸福像も、全体的・包括的な死生観を了解した先にのみ見出すことが出来るのである。
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