26 涼しくなる話・・その2

私が小学生の頃、父が野球の練習中に右手の中指を骨折した。それが治って間もなく、こんどは仕事中に狭心症で倒れて入院してしまった。当時中学生だった兄が耳が痛いと言い出したのはその頃からだった。学校で授業を受けるのもままならないくらい痛がり、担任から医者に行くようにと家へ連絡があった。耳鼻科で診察を受けたが原因がわからない。そこで再び、母は以前霊視をして貰ったあの寺院へ行ったのだった。

母が尼僧に話したのは兄の事だけだったが、尼僧は言った。「あんたのご主人ケガしたでしょ」「今、ご主人動けないでしょ。」「ご主人のお母さんが、苦しがってるよ。お仏壇の扉がずっと閉まったままだね。開けてあげなさい」
 
我が家ではその頃、小学1年生の女の子を里子として預かっていて、かつて祖父が使っていた仏間をその子の部屋にしていた。そこには造り付けの仏壇があった。祖父は前年、北見に住む三男の許へ越していて、その時に祖母の位牌も持って行った。仏間には空の仏壇があるだけだった。中が空とはいえ仏壇が見えていては小学生の女の子が怖がるだろうとの両親の配慮で、仏壇の扉に当時流行っていたピンクレディーのポスターを貼った。
 
「おばあちゃんの魂は、お仏壇の中にいます」と尼僧は言った。祖母は、自分の苦しさを長男である私の父に訴えようとした。その最初のメッセージが指の骨折だった。しかし気付かないので仕方なく父を歩けないようにしてしまった。それでもまだ父は気が付かない。そこで今度は孫の耳元で祖母がささやいているというのだ。
 
尼僧は母に、印を押した和紙を手渡した。これで兄の耳元に漂うものを包んで持って来なさいと尼僧は言った。しかしその必要は無く、母が家に帰ると兄の耳の痛みはすっかり無くなっていて、何事も無かったかのように友達とキャッチボールをしていた。それでも一応、尼層に言われた通りにした。おそらく尼僧が祖母の苦しさを母に伝えてくれたので、祖母も気が済んだのだろう。仏壇のピンクレディーのポスターはすぐに剥がされた。父は三ヵ月ほどして退院した。

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