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2024年9月に本業の会社員の仕事を辞めました

本業の株式会社LIFULLの仕事を2024年10月に退職することにして、最終出社は9月5日(木)でした。複業会社員として働いてきましたが、今は業務委託のみで仕事をしている形になります。
本業を離れて約3週間が経ち、今の気持ちをまとめておこうと思います。

そもそも辞めた理由は転職ではありません。
30歳になって、一度キャリアをリセットしたかったから、が大きな理由です。

辞めるまでの経緯

私は法学部の大学4年生だった2016年の夏、官僚になることを目指して試験合格後、官庁訪問をしました。そこで明確な夢が語れず、面接で不合格。
その時興味があったのが法制度よりも民間事業で地域課題を解決するまちづくりに関する本であったことから、2016年の冬に熱海のまちづくりNPOのatamisataにてインターンシップを開始。

その後1年働かせてもらって、地域の歴史、人との関係の中で暮らす楽しさを感じていた頃、この町で自分は何を叶えたいのかを問われる機会があり、またしても答えられない現実に直面。このままだと何者にもなれないまま時間が過ぎていくのでは、という焦りから2018年春に民間就職。民間事業で社会課題を解決する会社、というテーマでLIFULLという会社を選びました。

LIFULLの最初の仕事はデータ分析。数字を見る楽しさがあったものの、責任を持って試算をするストレスに苛まれていました。データアナリストなど専門家の人たちは色んな人から数字を詰められても論破できるような、高い思考力と強靭なメンタルを持っているのだろうと思っていました。そんな時に友人から「エコビレッジ」という話を偶然聞いて、ピンと来て熊本のエコビレッジサイハテに突撃。今は変化の最中のようですが…

あえてルールを設けない。住人たちは好きに住んで、好きなことをして暮らしている。パーマカルチャーを実践している。そんな暮らし方を見て、自由のために働く以外に、多少不自由でも自由に生きる生き方もあることを知りました。そんな世界に飛び込んでみたいと、東京に帰ってから早速上司に退職を申し出たのが2019年の春です。
その時は人事部長との面談までいって、会社にいながら有給休暇を使って興味のある所にいったらいい、と提案していただき、確かにと思って会社に留まることにしました。

その後もデータ分析の仕事をして、2020年春だったか、渉外の部署に異動。
社外との折衝や本格的なビジネスマナーを学べたのは良かったのですが、この時は取引先と社内との板挟みストレスによって体調を崩してしまいました。会社をお休みしている間に働く意味や人生の目的について考える過程でシェアハウスの庭に畑を作ったり、四国にお遍路歩きに行ったりしました。
ま、もうちょっと気を楽にして働こう。と思うに至り、会社に復帰してからは少し完璧主義の度合いを落として働くようになりました。
2020年の秋ごろにSEOの部署に異動になってSEOの勉強をして、2021年にマーケット横断でサービス改善を行う部署に異動になりました。入社してから3年が経つ頃で同期もちらほらと転職していくようになりました。Web開発の知識をつけたり、色んな人と協力して何かを作り上げたりするのは楽しく、チームや関係者に対して誠実に向き合う自分のポリシーを築いていた頃ですが、転職する同期を見て、自分ももっとキャリアを選んでみたいと思うようになりました。

人の話を聴き続けられる、のが自分の強みかも、と思い、熱海で出会ったキャリアコンサルタントの小林めぐみさんを頼り、コーチングについて教えてほしいと連絡。小林さんからCTIという機関をおすすめしてもらい、そこでコーチングの勉強をすることに。

トータルすると100万円以上の受講料を支払いましたが、それでも何かが変わる気がして勉強と実践を積んで、プロのコーチ資格のCPCCを取得。ただプロコーチとして稼いでいけるのは一握りだと後に知り、コーチングのスキルを活かした社内転職をすることにしました。

そうして初めての異動希望を出して、当時の上司が何とかねじ込んでくれたのが、2022年秋に異動した住まいの窓口という個人向けのサービスをしている部署でした。
住宅購入のアドバイスをする部署で、コミュニケーションを通してその人の欲しい暮らしを叶えていく仕事にやりがいを感じていました。

初めての接客業ということで失敗することも多く、試行錯誤を続ける日々でしたが、それも楽しく感じていました。そして幸運が重なった結果でもありますが、2024年3月には四半期のトップセールスも受賞しました。
次のステップはマネージャー職で、あと数年でそこまで上がれるかなぁと思うようになりました。
ただ、マネージャーになりたいか?と問われると、Yesとは言えませんでした。逆にじゃあどうしたいのかと問われても、何も出せませんでした。

この世界にはいろんな生き方があって、誰もが生き方を選ぶことができる。
そんな中で、あなたはどんな理想を求めて、どんな生き方を選びたいか?
コーチングをさせてもらう中で、散々いろんな方に問うてきたことを、自分が答えられないことに日々悶々としていました。
悶々としながらも、それなりにやりがいはありながらも、何となく一本道のキャリアを進んでいく自分に「これでいいのか?」という気持ちが強くなっていきました。

2024年の4月頃、過去の振り返りをしている中で、小学生の時の記憶を思い出しました。
学校社会が大嫌いで、子どもの考え方や振る舞いが人間の正直な心であり、大人になっても学校と同じような社会が続くのだろうと考え、世界はつまらないと心底思っていました(当時言語化はできていませんでしたが、未来に対するネガティブな気持ちはとても強かったです。)
そして大人になったら生きていくためにお金を稼いで、老人になるまで必死に働き続けなければいけない。そう思っていました。
そんなつらい世界に生きることを肯定する理由が思いつかず、根暗な少年時代を過ごしていました。ただずっと後ろを向いていても仕方が無いので、生きていくために必死に働く人生ではなく、何か楽しく生きる人生にして、生きる意味を見出したいと願うようになりました。
※ちなみに「楽しい」の意味としてはfunnyではなくinterstingです。

それを思い出した時に、2016年から8年間、色々試してみたけれど「楽しく生きる人生」にはまだできていないと感じました。それどころか、避けたかった「生きるために働く人生」になりかかっているとも感じました。
頭で考えて「楽しく生きる人生」が実現できるとは思えないので、結局は今までと同じく試行錯誤になるのですが、その代わり思いつくこと、仕事で時間が無くてできずにいたことを、色々やってみた方がいいのではないか、と思いました。
それが、週の多くの時間を占めていた本業を辞めた理由です。

辞めて3週間が経ってみて

9月5日(木)から約3週間経った中で、都市経営プロフェッショナルスクールの仕事で福岡県北九州市に行き、友達の山暮らしを体験したく新潟県津南町に行き、自分の源を探求するために高知県四万十市に行きました。それぞれ素晴らしい体験をさせてもらいましたし、並行して読みたかった本をたくさん読めています。そして何かやるとその次にやりたいことが浮かんできます。
本業によって頭の中に生じていた多くの「やらなければいけないこと」「こうしている間にもトラブルが発生している恐怖」が消え、目の前のことに集中しながらも、余裕を持って生活できるのが何とも心地よいです。

仕事を辞めたら何かが不安になるのではないか、次の仕事が不安にならないか、と思いましたが、意外と気持ちの面では大丈夫でした。次の仕事が見つかるかどうかは確かに不安ですが、今の時間をその不安に圧倒されて生きるのは損だなと考えています。

もちろん金銭的な理由でいつまでもこの生活をしているわけにはいきませんので、何カ月間かは探求中心の今の暮らしをしたいなと考えています。
なるべくは今まで知らなかった、わくわくするような新しい世界を探して…

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