見出し画像

私は母語の記述をしているのか?

1. 背景

「福岡県の南の方にある柳川で話されている方言の調査をしています。」
「70代以上のお年寄りの方たちに教えてもらっています。」
「調査のきっかけですか?出身地ということもあって…」

学会・研究会でこのような自己紹介をすると,ときどきいただく反応があります。それは,「あ,じゃあ母語(母方言)の研究をなさっているんですね!」というものです。昔の私は「そうなんですよ!」と答えていましたが,最近は「うーん,母語に近いんですけど,そうとも言えない面もあって,なので母語の研究をしているかと言われると,なんというか…」と口ごもってしまうようになりました。

まつーら先生の以下のポストを拝見したのをきっかけに,この点についてつらつら考えていたことを書いていこうと思います。まとまりのない内容になると思いますが,よかったらご覧ください。


2. とても似ていて,異なる言語

以下では,便宜上,70代以上の方が話す柳川方言を高年層柳川方言,私の世代(というか私,1997年生まれ)が話す柳川方言を若年層柳川方言と呼びます。

高年層柳川方言と若年層柳川方言は,けっこう似ています。九州方言の研究に詳しい方なら,主語のガノ交替,対格助詞ba,いわゆるカ語尾形容詞,サ詠嘆,ヨルトルあたりは共通している,というと雰囲気が伝わるでしょうか。調査のときには,言語学の知識だけでなく,自分の若年層柳川方言話者の内省を用いて,「ここで差が出るんじゃないか」というあたりをつけて調査票(言語形式の使用に影響を与えそうな要因を網羅的に組み合わせたもの)を作成することもできます。

しかし,高年層柳川方言と,若年層柳川方言は異なる点もあります。
例えば,高年層柳川方言では,「行く」という意味を表す動詞に補充法のような現象が見られます。補充法とは,ある語Aの活用形に,かつて語Bの活用形であった形式が入り込んでいくという現象です。英語のgo, wentを想像するとイメージがつきやすいでしょうか。

高年層柳川方言では,「行く」を表す動詞が「〜して」という形式をとるとき,標準語と同じ「いって」という形式に加えて,「至る」に由来すると考えられる「いた(っ)て」という形式が出てきます(詳しくはこちらの記事)。
一方,若年層柳川方言(私の体系)では,「行く」という意味を表す動詞にこのような補充法は見られません。「行く」を表す動詞が「〜して」という形式をとったときに出てくる形式は,標準語と同じ「いって」です。おそらく標準語の影響で,高年層柳川方言で見られる補充法が若年層柳川方言では見られなくなっています。

高年層柳川方言で見られず,若年層柳川方言で見られる特徴もあります。若年層柳川方言には,動詞につく「〜よく」,「〜とく」という形式があります。「〜よく」は未来のある時点において動作が進行中であることを,「〜とく」は未来のある時点で動作が完了していることを示す形式です。
グループでお出かけしているときに忘れ物をした人がいて,その人だけがそれをとりに戻る,という場面を想像してください。そのときには,両方とも用いることができますが,以下に示すように表す意味が異なります。

(1) さき いきよくよ。
「先に向かっているよ。(道中で相手が追いつくだろうという予想を含意)」

(2) さき いっとくよ。
「先に行っておくよ。(グループが目的地に到着したあとに相手が到着するだろうという予想を含意)」

一方,高年層柳川方言には,「〜とく」という形式はあるものの「〜よく」という形式はありません。つまり,(1)のような文を高年層柳川方言話者は使いません。
若年層柳川方言で見られ高年層柳川方言で見られない「〜よく」という形式は,アスペクトを表す形式である動作が進行していることを表す「〜よる」,動作が完了していることを表す「〜とる」という形式からの類推によって生じたと指摘されています(田口1992, 工藤 1999)。

このように,高年層柳川方言と若年層柳川方言話者の体系は似ているものの,異なる点も多くあります。標準語については,聞いて理解できないことはほとんどないものの,高年層柳川方言は,調査をはじめて6年経っても,聞いて理解できないことがあります。語彙的な単語だけでなく文法的な要素にも知らないことがあったり,高年層柳川方言話者がおっしゃっていることをパッと聞き取って意味の切れ目を見出すことができなかったりするためです。

調査をはじめる前は,もっとわかりませんでした。高校生のころ友人の家に遊びに行って,おばあさまに話しかけてもらったけれど何をおっしゃっているかわからず,友人のご家族に「通訳」をしてもらったことがありました。調査をはじめる前の私には,高年層柳川方言話者が「手加減」なしで話すことばは4〜5割くらいしかわかりませんでした。

なお,数年後に高年層柳川方言の調査をするようになり,この方にもお世話になっていました。この方の話す柳川方言の音声データは,許可をいただいた上でZenodoで公開しています。ぜひ聞いてみてください。

3. 私は母語の記述をしているのか?

ここで,冒頭の内容に戻りたいと思います。

私が「母語(母方言)の記述をしているんですね!」と言われて素直に肯定できないのは,ここで「母語」,「母方言」と言われている言語体系は,数年前まで聞いても半分くらいしか理解できなかった,6年くらい研究を続けても,数百ページの文法書を書いても知らない文法要素が出てくるような言語体系だからです。
高年層柳川方言は,私にとって,近くて,だからこそ違いが際立つ,身近で遠い言語です。「母語」とためらいなく言える言語かというと,そうではない,ということを感じています。

この記事で若年層柳川方言と呼んできたものは,柳川に帰ると,あるいは地元の近い方と,あるいは地元が遠い方とでも打ち解けて話すときに,ツッと口から出ることばで,私が柳川で生まれ育った中で自然と身につけたものだろう,と思います。私にとってためらいなく「母語」と言えるのは,この若年層柳川方言であって,これだけだ,と今の私は感じています。

4. 若年層が話す方言も,ちゃんと記述したい

話が飛びますが,方言を研究している方には,「いわゆる伝統方言を記述したい」という方がけっこう多いんじゃないか,ということを感じます。
伝統方言と呼ばれる方言は,高年層の方たちが話す方言です。悲しいことですが,どうしても調査できるタイムリミットが近くに見えているということもあって,伝統方言の記録・保存をしようという取り組みは広まっています。私自身も,この流れの中で,出身地であるということで愛着や執着のある柳川の,近くて遠い存在である高年層柳川方言を調査しています。

「いわゆる伝統方言を記述したい」という方の中には,「若年層の方言にはあまり興味・関心がない」という方もいるのではないか,ということも感じます。ある言語体系に興味・関心をもつかどうかは個人の好みの問題ですし,「若年層の方言にはあまり興味がない」という方もいるだろうと思います。ただし,「若年層の方言にはあまり興味がない」理由の中に,「標準語の混じったものだから」,「純粋な方言ではないから」といった視線が混ざっていないか,ということをときどき感じます。

若年層の話す方言が標準語の影響を強く受けているのは,たしかな事実だと思います。そしてそれは,若年層の話す方言が研究に値しない,ということは意味しません。若年層の話す方言が体系的に記述されない,という現状は変わっていってほしいし,変えていきたい,と思います。

私にとっての母語である若年層柳川方言と,身近で遠い言語である高年層柳川方言の繋がりを知りたくて,若年層柳川方言も含むいろんな「柳川方言」を記述したいなということを,国際母語デーにつらつらと書き連ねました。

高年層柳川方言調査のために,福岡空港から柳川へ帰る道中にて

参照文献
田口聡子(1992) 「大分県方言における「ヨク・チョク」の実態」『国語の研究』17: 28-17.
工藤真由美(1999) 「西日本諸方言におけるアスペクト対立の動態」『阪大日本語研究』11: 1-17.

いいなと思ったら応援しよう!