お互い生活水準を下げてまで一緒に暮らすべきなのか
もう少し若ければ「どんな家だろうと一緒に住みたい」となったのだろうか。大人になってから生活水準を下げるのは、なかなか難しい。
結婚してから、インド引っ越しまでの約4ヵ月(結果的には延びていますが)お互いが生活水準を下げてまで一緒に暮らすべきなのか、散々悩んだ結果、一緒に住むことを決めた。
ホーチミンの家は、短期滞在となると家賃が約1.5倍になりコスパが悪い。「数か月なら我慢できるだろう」と思いAmandaというサービスアパートメントに引っ越してきた。
「何かあったら私がイブキ(夫)を叱ってあげるから!いつでもうちに駆け込んでおいで」という、あいさんの心強い言葉に背中を押され、Amandaで一緒に生活するという決断をすることができた。
些細なケンカで、話が着地しないときは、こにたんが間に入ってくれたり。うまく表現ができない職人夫の通訳をよーまるさんがしてくれたり。
家の鍵を忘れた時は、八巻家で保護していただき、ビールで乾杯。
私がピアノの練習に追い込まれていたときは、あいさんが深夜に楽譜を書き換えてくれたり。
Amandaの住人に助けていただきながら、見守られながら、30代半ばまで、自分勝手に生きてきて、こじらせすぎていた私たちが、少しずつ少しずつ夫婦に近づけていっているのではないかと思う。
あれだけ嫌で、1日も早く引っ越したいと思っていたAmandaだけど、今は居心地の良い場所をなっている。
ウエディングフォトと言えば、映える場所で、きれいな服着て、ばちばちにメイクして撮るんだろうけど、私にとっては、辛いこともあり、でもそれ以上に楽しいことがあり、新しい価値観を持つことができた自宅のAmandaが大切な場所であり、
いつもの人たちとの、いつもの日常の方がずっと思い入れがあって、ずっと価値があるような気がして。記録として残しておきたく、いつもの人たちとの、飾らない日常を撮影いただきました。
photo by:@ayatogram01
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