コーチングを受けたら趣味と結婚相手が見つかった
インドのバンガロールに引っ越してから8ヵ月が経過しました。緑いっぱいのバンガロールで小鳥のさえずりで起き、トゥクトゥクに乗り風をきって走り、酒屋に行きビールを買い、豚肉は肉屋に買いに行く。道端にある神様(牛)の糞を踏まないように、落とし穴に落ちないように。
グローバル都市で昭和スタイルの生活を送っています。そろそろ焼肉やすき焼きが恋しい頃です。
近況について
『いつまで勉強しとんねん!』という声が聞こえてきそうですが、2年前スクールに通い認知科学に基づくコーチングを学んでおりました。
2022年4月に卒業はしたのですが、まだプロコーチになるためのテストに受かっておりません。今回縁あって再チャレンジの機会を頂き、再チャレンジ中です。コーチングを受けてからこの2年の変化について書いてみます。
私の人生に無縁だと思っていたバンドに加入したら趣味と結婚相手が見つかった
スクール在学中、必要なのはとにもかくにも自己適用。理論は理解していても、自分自身で体感しないと本物のスキルはモノにできない。挑戦の過程はこちら。
在学中、同期のみんながどんどん挑戦していく中、危機感に迫られ挑戦したスカバンド。ホーチミンを離れるギリギリまでHem Hem Saigonにキーボードとして参画。1年4ヵ月で、弾いた楽曲29、LIVE19本。お金をいただき演奏する『アーティスト』も経験させてもらいました。
音楽ももちろん好きだけど、それ以上にバンドメンバーとイベントをやったり、ビーチフェスを企画や開催をしたり。起業家や経営者クラスの大人たちと本気で遊ぶことが最高に楽しかった。
そして、この話には続きがありまして、
ちょうどカンボジアでの任務を終え、ホーチミンに戻ってきた、サックス担当の夫と出会いました。趣味と結婚相手が見つかりました。これだけで、もうコーチングスクールに入った甲斐がありました。
この半年間自分と徹底的に向き合い、自分の欲求(want to)や行動パターンへの理解ができていたことが判断を早めることができた秘訣だったと思っている。あとは『いつもと違う選択をする』ということを意識していた。
やりたくて始めたベトナムの事業を手放した
『やりたくで始めた』のではなく、正確には『過去を清算をしたかった』だけなのかもしれない。前職でやり遂げられなかったベトナム人高度人材エンジニアの日本就職支援の仕事を、知り合いの会社の一事業としてやらせてもらっただけであった。
当時、描いていたものがやり遂げられず、成果が出せず、一緒に頑張ってくれたスタッフたちを解雇せざるを得ない状況だった。やり残したことをやり遂げるために『三十路・独身・無職』のステータスとなり台湾での任務が完了したタイミングでベトナムに戻ってきた。
インターン生とふたり、ハノイの知り合いの日本語学校の一角のスペースをお借りしてからのスタート。社員が増え、優秀なベトナム人スタッフたちに囲まれ、市況感も追い風となり事業も順調に伸び、仕事が本当に楽しかった。でも2年くらい経った頃からか事業の未来が描けなくなっていた。(正確には描けはするが、わくわくしない)
そこで『未来を描けるリーダーになりたいと』コーチングスクールの門を叩いたことが全ての間違いだった。病気を治すために医者になるやつはいない。医者にかかるだけで良かった。そう、コーチングを受けるだけで良かったのに、スクールに入ってしまったのだった。なんか面白そうという直感で。(のちのちコーチングの面白さに気付いて、やっぱり私の直感は正しかったと気づくことになるのだが)
『私が始めたのだから』『日本人ひとりだから責任を持ってやらねば』と別に誰からも言われていないのに一人で勝手に背負って動けなくなっていたけど、過去の清算が終了しましたよ、というだけの話。全部Have toとわかったときは愕然としたし、何もかもを捨ててここに来た私の3年間は何だったんだ!とひどく絶望した。
コーチのパワーもお借りし、ようやく事業を離れる、知り合いの会社を辞めるという決断ができた。ベトナム人のリーダーの子に全てを任せたいと相談したところ『チャンスだと思って頑張りたい』と引き受けてもらえた。
この事業とスタッフたちの成長を妨げていたのは私だったのかもしれない。ということで、かなり時間はかかってしまったが、ようやく振り出しに戻る、スタートラインにに立てたような気がした。
(通常のコーチングでは、退職を促すようなことはありません)
ものづくりを学びにケニアへ
さて、これから何をしたい?となったときに、頭に浮かんだのか『ものづくり』。小さい頃から工作も絵もミシンなどとにかく作ることが好きで、大学は被服学科を卒業しているというのもあり。何も初めていないけど想像もできないけど『アパレルブランドを作る』を趣味のゴールとして置いてみた。
そうするとXでケニアのアパレルブランドでのインターン募集の情報が流れてきた。私の直感がなんか面白そう!って言ったのでエントリーシートを書きすぐに応募した。私の場合、頭で考えるとこじれる。直感が一番正しい。
GAOGAOという開発会社での仕事がフルリモートというのもあり、時差も利用しながら、ケニアのアパレルブランドnomadic artisanでインターンシップをさせていただいた。
ものづくりの基礎やグローバルで戦うという世界観を代表のAyumiさんから惜しみなく教えていただいた。実際にミシンを動かしものづくりの難しさも楽しさも思い出せた。
そしてインド人とアパレルブランドをはじめました
インドに戻りました。(夫の仕事の都合で、ホーチミンからインドに引っ越しました。)
インドでものごとを始めるとなるとうまくいかないことが大半で。ベトナムよりも全然うまくいかない!だってインド人『Yes』と言いながら首をカタカタ横に振るんだもん。(彼らのYesは、出来るか出来ないかはわからないけど、出来るよう最大限努力するね、結果は保証できないけど。という意味合いらしい)何度も心が折れ、新しい土地で友達もできず、馴染めず、駐妻として夫に尽くすかなど、葛藤や完全に自分を見失った数ヶ月は割愛。
そんな中、気が合いそうだなというインド人女子を発見し、InstagramのDMでお茶しませんか?とお誘いし、意気投合したので一緒にものづくりを始めました。
ブランドなのか、インドのクリエイターたちとの実験室みたいな場なのか、コミュニティーと言った方が良いのか、模索しながら、進めています。ふたりで喋ってるとやりたいことが無限に出てくるのでもう大変。さっさと手を動かします。サンプルがそろそろあがってくるのを楽しみにドキドキしている今です。
この2年で、住む場所、仕事、時間の使い方の全てが変わり、環境に適応するのにいっぱいいっぱいな日々ではありますが、じたばた戦いながら進んでいます。
めちゃイケのプロデューサーに憧れていた小学生の私と結局変わっていない35歳の私
私って本当に単純な人間だな。結局小学生からやってること変わらない。もちろん大人になればなるほど、社会性を帯びた行動に変わっていくけど人間の本質は変わらない。これからも変わらない。
それを知ってから、軽やかに動けるようになった。仕事の成果に関わるもの以外は無駄なものという考えだった私が、趣味に時間使っちゃって、関わる人たちも増えて、なんか豊かになってきたなー、人生ってなんか楽しいなーと実感しています。
正解を探し求めてきた時間が長かったけど、そもそも正解は自分でつくるものであって。やりたければやればいいし、違ったらやめればいい。ちょっと違うなと思ったら修正すれば良いだけであって、無駄なことなど何もない。いや、無駄なものにこそ面白さや価値があることもある。というのが私が一番学んだことかもしれない。シンプルだけど。
かなり時間をかけてしまっておりますが、自分らしさという土台の立て直しが完了しつつ、これから趣味も仕事も、やったるぞー!というのが今の状態。
セッションモニター募集
現在、卒業テストのためのコーチングセッションを行なっております。
このnoteをお読み頂き、コーチングに興味を持ったり、セッションを受けてみたいという方がいらしたら是非ご連絡ください。
■コーチングのモニターセッションでやること
仕事のゴール設定
・ 仕事を通じ、世の中にどんな価値を提供しているのか?(コア機能)
・ 人生と通底する欲求(行動パターン)
これらを特定し、仕事領域でのゴール設定を行います。それらを最大限生かしたらどうなるのか。蓋をあけて欲求や可能性を爆発させる時間というイメージです。
※仲良しすぎるお友達は同期のコーチを紹介させてください。
① 認知科学コーチングについてもう少し詳しく話を聞きたい(30分/無料)
② モニターセッションを受けてみたい (60分/5,000円)
■こんな方探しております
・今の自分に満足していない人
・もっとやりたいことに向けてチャレンジしたい人
・蓋開けたい!
ちょっと話を聞いてみたい、興味ある方、こちらからご応募ください。
過去セッションにご協力いただい方たちへ。今ならバチっとゴール設定できますので、ご連絡いただけましたら時間の限り無料で対応させてください。