【1000字】カウンターポイント
昼下がりの部屋にぶかぶかのスーツを着た少年が入ってくる。緊張した面持ちで、レコード盤を大事そうに抱えている。少年以外には誰もいない。
プレーヤーからざらついたジャズが流れだす。少年はソファに腰かけ、しばらくは演奏に耳を傾ける。やがて身を屈めるような姿勢になり、ガラステーブルに両手を乗せる。
爪先で拍を取っているところで、数人の男たちが部屋にやってくる。彼らは無言で楽器を準備する。少年には目も暮れない。しかし、彼らの耳は抜かりなく曲のコードを掴んでいる。
転調と同時に少年のピアノが走り出す。いつの間にか、スーツが彼の体をぴったりと包んでいる。
ドラムスがレガートを刻む。ベースとテナーサックスが跳ねるように追従する。しかし、少年は苛立ちを覚える。
欲しいのはこれじゃない。
どうしようもない不協和音がやってくる。
少年の顔つきはすでに大人と変わらない。ピアノの台にはバーボンのグラス。客たちがやってきて、煙草の煙の奥からバンドを眺めている。
外では雪が降っている。開けっ放しの窓から、墜落を免れたひとひらが吹き込み、少年の髪にそっと触れる。
悪くない、と彼はなにかを掴みかける。
飛び入り参加のトランペットが、挑むようなアドリブを仕掛けてくる。
少年はちらりと笑みを覗かせ、鍵盤を叩きまくる。彼はすでに老境へ差しかかった面構えだ。ネクタイを外して速弾きすると、客たちが歓声を上げる。誰かが興奮のあまりにジントニックをこぼしてしまう。
これだ、と少年は確信する。
この感覚、ずっと求めていたものがようやくこの手に。
いや、答えは最初からあった。
本当に欲しいものはいつも自分の中から生まれてくる。
自分を満たせるのは自分しかいない。
音楽はすでに地上を離れ、聴衆を絶頂へ誘っている。少年はいまや大笑いしている。このために生きてきた、と涙さえ浮かべている。
そのとき、しかめ面をした少女が部屋に入ってきて、うるさそうに針を上げてしまう。音楽は消え、少年だけがそこに残される。昼下がりの陽が射す部屋に午後の静けさが戻ってくる。
「またこんなの聴いて」少女は言う。「お父さんにバレたら怒られるよ」
「うん」と少年はうわの空で頷く。汗ばんだ指先は、まだ未来の旋律を奏でている。