キレる17歳世代の社長(1982生まれ)が、ルッキズムlookismについて考える:column
ルッキズム(lookism)。外見や容姿に基づいて人を判断したり、差別的な言動を取ったりする思想や社会現象。ざっくりいうと、外見至上主義。昨今、やたら目に耳にするようになったが、外見至上主義という概念はむかしからあったはず。
なぜこのタイトルなのか
キレる17歳。あまり馴染みのない人も、懐かしいと思う人もいると思うが、2000年(平成12年)及びその前後に相次いで発生した凶行を起こした1982年(昭和57年)生まれと1983年(昭和58年)生まれの少年凶悪犯を指した言葉。当時の流行語大賞にも17歳がノミネートされるくらいだったから、当時のメディアの取り上げも凄かった。
今振り返ると、17歳というだけで、面白おかしく茶化す大人たち、地元でワルやると「また17歳かよ」と口にする警察官。いやいや、オレらより上の世代の方がヤバかったしょ!って今だからつっこめるが当時は嫌なことも多々あった。外見や容姿で判断するルッキズムよりも酷くないか?と、振り返りながら思っていた。だから、今回記事にすることにした。
昔から存在したルッキズム
ルッキズムという言葉は、1970年代にアメリカのメディアによって作られた造語。外見・容姿を意味する「look」と、主義をあらわす「ism」を組み合わせてできたもの、という認識。なぜ誕生したのかは知らない。知らないが容易に想像はできる。
およそ50年前からある言葉に、最近また注目されてきた理由に、ソーシャルメディアの存在は当たり前にあるのだろうと。それとSDGsのなかにも目標10「人や国の不平等をなくそう」でも注目を浴びた。ルッキズムを含むあらゆる差別をなくすということでもメディアでも取り上げられる頻度も高くなっていた。
当時のルッキズムを振り返る
当時の17歳(1982年生まれ)の頃を思い返してみる。未成年凶悪犯罪なんてマイノリティで、イジメのほうがマジョリティ。それは今もそうだと思う。イジメは昔から存在してるが、その多くが、外見や容姿から判断されていたと思う。
イジメも千差万別だが、そもそも気持ち悪いものばかり。暴行、無視、強要、盗難、陰口、仲間はずれなど様々。だがそのコミュニティーは限局していた。クラス、チーム、地元の一部分など、かなり狭かった。狭かったから良いというわけではないが、時間が経てば離れられるという手段もあった。私もイジメにあった経験を持つ一人であるが、部活引退や学校卒業でその関係性は途絶えることがイジメの終結を迎えることもある。
ちなみに私の場合はルッキズムではなく、自身の言動で招いてしまったことと、妬みや僻みによるもの。前者は深く反省しており、卒業後に和解したが、後者は今となってはどうでも良い話。そんなこと、大人になってからの方が多く経験しているので日常茶飯事なこと。
話を戻そう。
今はコミュニティー無制限領域だから「いいね!」を無視しろ
コミュニティーが限局していることが今の時代から振り返ると当時はまだ良かった面もある。今はソーシャルメディア上でのイジメや誹謗中傷が主戦場になっており、デジタルタトゥーで一生残ってしまう事態にも発展する。ルッキズムを助長しているのがインフルエンサーの存在。
PtoCビジネス全盛期だから致し方ないとは思うが、さすがにもう飽きた(個人の感想)。しかしそう思っていない人も世代もまだまだ多く、「いいね!」の数やフォロワー数・リポストなどの目に見える形での評価が重視される風潮は根強い。自分への評価となるそれらの数を増やすために、他の誰かよりも見栄えがよく、褒められる姿を見せなければ、と感じる人が増えていることは言うまでもない(あと人とは違った行動を取ったり≒奇行)。
私の周り(まぁおっさんやおばさんだけど)にも承認欲求の塊のような人も確かにいるが、SNSの「いいね!」ために生きているという感覚は多分ない。あったとしても、ある意味で空気を読まずに諦めずにいろんな写真をアップし続けている世代なのだと思う。また飽きるのも早い。一枚の写真や動画に一喜一憂することはない。理由は明確でリアルな世界の方が大変だからだ。
まぁ世代によるとは思うが、そんなペルソナなのがこの世代には多い。そんなおっさんおばさん世代の立ち振る舞いを見習うほうが精神衛生上、気楽になると思う。つまり、若い時は皆そうだったかもしれないが、歳を重ねるとルッキズムも薄れていっているような印象でもある。個人差あるけど。
そんなに簡単なことではないと思うが、最後に聞いてくれ
ルッキズムは、単に「外見を重視すること」を意味する訳ではない。問題なのが、人の中身ではなく、見た目だけで人格を判断すること自体が、さまざまな差別や偏見を助長するリスクをはらんでいるということが問題になる。
例えば、人種差別(レイシズム)、年齢差別(エイジズム)、性差別(セクシズム)などにつながる。すべてを無くせとは言わないし、まず無理。キレる17歳でも先述したが、当時、様々な世代から何か問題を起こすたびに、「キレる17歳世代だからな君は」、と言われていた。これはルッキズムではなくエイジズムになると思うが、多分だが、そう当時言っていた人らは、ルッキズムでもあったと思う。だから、とにかく差別や偏見をやめることは、多くの人に支持されることにも繋がり、これからの多様性時代には必要とされる美意識の一つになり得ると、私は思う。
ルッキズムが生み出す差別や偏見、不平等は、あらゆる人の個性や可能性を奪ってしまう恐れもあるのと同時に、それを行う人にとっても人間性や能力の脆弱性を助長することにもなる。このままでは、皆が生きにくくなることは必至であり、とにかくつまらん世界になってしまうだろうと。だからこそ、ルッキズムもエイジズムも捨ててしまったほうが、良いのだと、私は思う。ゆとり世代とかさとり世代よりも、史上最悪のキレる17歳世代と言われ、世間から忌み嫌われた世代だった私たちからの、お願いでもある。
補足:インフルエンサーのみなさまへ
ルッキズムを助長しているのがインフルエンサーの存在、と上記で述べたが、まずはお詫びする。この手の話には付き物だという認識はご了承して欲しい。ただ皆さんの活動をディスってるわけでもないし、理由も理解している方だと思う。
今はインフルエンサーが芸能事務所に所属する時代であり、またフリーランスとしても、その活動自体がPtoCビジネスモデルとしてマネタイズもされる。企業もコマーシャルというスキームをSNSにぶち込んでいるし、リクルート活動も同じくでもある。なのでもうインフルエンサーが絶滅することは無いとも思っている。だからこそ言いたいことがある。
インフルエンサーはインフルエンサーとしての仕事だけを全うしてほしい。ルッキズムやエイジズムやセクシズムな発言はするべきではない。また所属する事務所もしっかり労働契約時にそれら発言を禁止とする内容を締結して欲しい。アイドルが「恋人できましたー」とか「おっさんのファン、キモすぎ」とか公で発言するだろうか(裏垢でしているかもしれないが、バレた場合はペナルティを課せられている)。まずしないだろう。その契約内容を遵守することが、インフルエンサーやタレントのような職業の人らの社会的責任活動の一つでもあると、私は思う。
インフルエンサーの身の丈を超えるような言動は、必ず自滅するわけで、そのあたりを気をつけて活動してもらうことで、少しは世の中は良くなると、私は思う。心から皆さまのご活動が末長く続きますよう、よろしくお願いしたい。好きなことも呟けないのか?と言われたら、私はそりゃそうだ、と言いたい。この世に存在するルールというのは性善説から作り出されているのだから。好きなことを呟けるのは、実名でやってる経営者くらいだろう、と。
おつかれさまでした。