挑戦する人へ。私が海外移住に挑戦したことは、「正解」だったか?
どうも中国大連の泣き虫日本人、松永瑞紀(@matsunagamizuki)です。昨晩大号泣してそのまま寝たので目がなくなりました。ほぼまぶた。
私はこれまでの29年間でいくつかの挑戦をしてきましたが、その中でも大きな決断は「中国に移住すること」でした。
挑戦をした私から言えること。もしも今、挑戦できる条件が整っていて、あとは自分の決断次第なのだとしたら。勇気を出して飛び出してみてほしいです。私の経験を踏まえて、その理由をお伝えしたいと思います。
(トップ画は大連盛唐・小京都にて/2020.9)
私の中国移住決断まで
私は大学で中国語を学び、中国に旅行をした時にその文化に魅せられ、「中国で働きたい!」と思うようになりました。留学後、そのまま中国で生きる選択肢もありました。しかし日本で働いた経験がないまま中国で働くと、視野が狭くなるのではないかと思い、卒業後はまず東京の企業で働きました。日本社会の基本的なルールや慣習を学んだ上で海外に行けたことは、自分にとってよかったと思っています。
日本で結局5年近く働きました。最初に入社した会社は大連に子会社を持っていたので、その会社から大連に行くことを目指していたのですが、途中で中国から撤退してしまい、転職を決意します。当時の中国での労働ビザを申請する最低条件(母国で2年以上の勤務経験)はとっくに満たしていたのに、すぐには次のステップを決断することができませんでした。新卒で入社した会社を辞める決断をすることは、相当な体力が必要なものでした。
東京を離れる決断
決断したきっかけは「海外へ挑戦するなら20代のうちにやりたい」という思いからでした。30代になってから新しいことに挑戦するハードルの高さと、自分が女性であることを考えてそう決めていました。ちょうどそのタイミングで大連の求人が見つかり応募したところ、トントン拍子で話が進み、移住へ。26歳で移住し、日本の20代会社員ではなかなかできないような裁量の大きい仕事を任せられ、この決断をしてよかったと思っています。
ところが大連に来てから、30代、40代、50代になっても挑戦し続ける女性に出会い、「30代になってから新しいことに挑戦するのはハードルが高い」というのは私の決めつけであったと気づきました。来年30歳になりますが、もっと挑戦していかねばなと兜の緒を締める思いであります。海外で働く日本人女性はみんなカッコイイ。私もその一人になりたいです。
ただ、人間は年をとります。これは事実です。20代後半になって、10代の頃と体力が違うのを感じます。トレーニングや栄養管理で体が作れることも間違いありませんが、老いは全ての人に訪れます。そういう意味では、体力のある20代にアクションを起こしておいたほうがいいよ、というアラサーのおせっかい。
ここまでが、私の経験談です。ちなみに30代を迎えることは、それはそれですっごく楽しみです。自分より若い人に対して「若いねぇ〜今が一番いいよ」なんて言う大人になりたくない。ずっと「今が最高」なんです。(化粧ノリはぜんぜん最高じゃないけどね)
今と未来にワクワクしていたい
正解はない
ここで「挑戦は正解か?」という本題ですが、いざ中国に住んでみて「正解はない」と思いました。日本には日本で暮らすメリットがあるし、海外に住むという選択は色々な犠牲を伴います。コロナ禍で長期間日本に帰れない状況に置かれ、家族の近くにいられないという大きな犠牲を払った上で私は海外にいるのだと思い知らされました。
全ての選択は、何かを犠牲にせずには選べないのです。だから、ただがむしゃらに挑戦することが正しいなんて、私には言えないし、挑戦した結果うまく行くかどうかなんて、誰にもわかりません。
ではなぜ私が挑戦を勧めるのかというと、それ自体が人生の財産になるからです。移住の夢を叶えた今、私は挑戦してよかったと思っています。海外生活が楽しいとか、面白いということだけではなく、むしろ辛いことも沢山あります。日本を出たから、得られたものがある。失ったものがある。全てがうまく行く成功なんてあり得ない。でも、その山あり谷ありが、人の心を豊かにして成長させていくものだから。
そもそも物事は、簡単に白黒がつけられないものです。海外から見て、日本人は本当に物事に白黒つけるのが好きな民族だなと思います。正解か不正解かなんて判断する必要すらないのです。そんなことに悩んでいるほど、人生は長くないぞ。
自分にマルをあげられればそれでよし
以前失敗や挫折こそがいい経験、という記事も書きました。
自分で決める。
挑戦とは自分自身に責任を持つことだと考えています。困難にぶつかったとき、「これは自分が選んだ道だから」と歯を食いしばって乗り越えることができる。その強さは、挑戦した人だけが得られるものだと私は思います。
挑戦する。そう決意したのが、自分自身なら。その先が吉と出ても凶と出ても、後悔はしないはず。
たまに出会うのが、人に勧められたから、親が決めたから、誰々のアドバイスで…と「他人の判断」で選択をしてしまっている人。行動に自分の意思が伴わない場合、上手くいっている間はいいのですが、困難にぶつかったときに「誰々のせいで」と後悔したり、その選択をさせた人を恨んでしまったりします。もし誰かの選んだ、望んだ方向ではない道に進むとしても、それを最終的に選んだのは結局自分なんです。自分の人生は、自分で責任を持ちましょう。
私に後悔はないです。誰がなんと言おうと、私が選んだ道だから。
選んだ先に見えなかった世界がある
行動しない選択も、挑戦だ。
するかどうか本気で悩んで、しない決断をするのも、勇気が必要なことです。行動しないと決めたとしても、それも立派な挑戦だと、私は思います。
私は今小さな現地企業で働きながら執筆をしているのですが、先日大きな会社の仕事に誘われてすごく悩みました。今の仕事、新しい仕事、どちらにも魅力があって、どちらにも納得いかない部分があったのです。どうするかを決断するのに1ヶ月かかりました。眠れないほど悩み、肌が荒れて、日本にいる友達や周囲の先輩方などいろんな人に相談して、転職しない決断をしました。
結局状況は何も変わらないけれど、私の心の持ち方が変わりました。今の仕事で納得いかないまま見て見ぬ振りをしてきた部分に向き合い、自分自身の心と向き合い、自分が生きていく上で何が大切なのか、どう生きて生きたいのかを考えるきっかけになりました。今回悩んだことも、挑戦だったなと思います。
挑戦するかどうか悩んでいるとしたら、もうすでにあなたは挑戦しているんです。
もう進んでる!
ちなみに昨晩の大号泣は、上記を決断したからでした。結局どちらを選んでも痛かったです。成長するための痛みでした。また傷を増やして強くなって、これからも生きていくのです。
挑戦するあなたの人生が、素晴らしいものでありますように。
愛しています。
サポートとても励みになります。自分の言葉で生きていけるように、試行錯誤しながら頑張ります。