
【エッセイ】煌めくはたちの黒木瞳さん
私は、はたちの黒木瞳さんと昼間の阪急電車の中で、偶然、出くわしたことがあります。私が宝塚のマンションに引っ越した1981年7月7日より少しあとのことです。そのときは、彼女の名前も、存在も知りませんでした。
彼女は私の向い、斜め前の席に座っていました。いかにも清楚、それがいちばん強い印象でした。長い黒髪で、地味な色合いのスカート姿、そして座った姿勢も面立ちも飛びぬけて端正でした。
この世の人物とは思えないくらい、その人だけ光り輝いて見えました。
「なんと魅力的な女性なのだろう」
私は感嘆し、茫然と見とれていました。
「こんな女性を、現実に目の前にするとは……」
止まれ、君は美しい。私はゲーテの心になっていたでしょうか。
3名の女性が彼女の横で、つり革を持って立って、おしゃべりをしていました。パンツ姿で、男性に近いショートヘアーを金髪にしていたので、タカラジェンヌの男役の人たちだと知れました。とすれば、長い黒髪の女性は娘役の人だろう。しかしその彼女は会話に加わらず、穏やかに頷いたり微笑んだりしているだけでした。
「ショーコ!」
と、男役のひとりが彼女に声をかけ、会話に入ることを促しました。
会話の内容はよく聞こえてきません。ただ、この黒髪をさわやかに流した女性が「ショーコ」という名前であることだけは分かったのです。
翌日、演劇にきわめて詳しい戸倉信吉さんに尋ねました。当時、戸倉さんは同じテレビ制作部のディレクターで、その席は私のデスクのななめ向かいにありました。
「きのう、阪急今津線でタカラジェンヌたちと乗り合わせたんですけど、一人、じつに魅力的な女性がいました。仲間から『ショーコ』と呼ばれていました」
「ほう!」
「誰のことですか、ショーコとは?」
戸倉さんは、丸い目をさらにむき出しにして、「ショーコは、黒木瞳の本名なんや。昭子と書く。黒木瞳という芸名は、同郷の作家・五木寛之が命名した。今年、音楽学校を、たしか首席で卒業したはずの子や」と言って、すぐ宝塚歌劇関係の雑誌を取り出すと、卒業生名簿のページを開いたのです。
「ほら、これが今年、音楽学校を卒業した月組の新入生リスト。第1番目に、つまりトップに、彼女の写真と履歴があるやろ?これは卒業の成績がトップということなんや。以下、2番、3番と成績順に載せられている」
「ふうん、きびしい世界なんですね。歌、踊り、芝居でトップ。これでほぼ、この先のチャンスや運命が決まるんでしょうね?」
「その通り。この子はきっとスターになる」
「そうでしょうね。この人だけは何か特別な感じがしました」
男二人で盛り上がったのです。
予期した通り、彼女はタカラヅカで短期間のうちにスターとなり、そこを飛び出すと、やがて映画で主役を務める女優となっていきました。
しかし、私には戸惑いがありました。私が阪急電車で感動したあの「清楚」のイメージからは、どんどんと遠ざかっていったからです。
映画の初主演作となった『化身』(25歳)では大胆に全裸をさらし、『失楽園』(36歳)では濃厚な不倫の恋を演じました。これらの作品は、彼女の女優としての頂点に位置する作品でしょう。そういうタイプの女優への進み方はあっていいし、『失楽園』ではまさに世を制したわけですから、慶賀に値する偉業と言ってもいいのです。
世間から絶賛されるほど、私にだけは寂しさが募りました。長い黒髪の、しとやかで清楚だった女性は、どこに行ってしまったのか、と。
たぶん私は、中学2年のとき『伊豆の踊子』で18歳の吉永小百合さんに感じたのと同じものを、黒木瞳さんにも求めていたのでしょう。清楚なる存在であるがゆえの、聖なる輝きだけを求めていたに違いありません。今もトップスターの小百合さんは、少なくとも女優イメージとしては、今まだそれを堅持しているというのに、と。
阪急電車で見かけてから40年近く経って、黒木瞳さんを「探偵!ナイトスクープ」の顧問に迎えたことがありました。55歳をすでに超えていらっしゃいましたが、顔立ちは相変わらず端正で、その言動は、生き生きと輝いて見えました。
「探偵!ナイトスクープ」では毎回、本番が終了してタレントさんを送り出したあと、控えの一室にディレクターや構成者などスタッフ20名くらいが「反省会」のために集まります。その日もみんなが集まって、いよいよ反省会を始めようとなったとき、36年前の番組開始時以来の最古参のディレクターで、今は制作プロダクションの社長でもある石田ひろき氏が、私に質問してきました。彼は爆笑!小ネタ、パラダイスシリーズ、視聴率調査などで、番組を視聴率30%オーバーの「お化け番組」に導いた立役者です。その彼は私の、はたちの黒木さんとの出会いの話を聞いています。
「松本さん。昔と較べて、きょうの黒木瞳さんは、どうでしたか?」
私はすぐに、思ったままを答えました。
「いやぁ、黒木さんは、さすがに、黒光りしたはったわ」
どっと笑いが起きました。
笑ったひとりが、ぼそっと呟きました。
「松本さんも、まだまだイケますねぇ」
私は、ホッとした気分でした。そして今となって、黒木瞳さんに対して、そこはかとなく親愛の情をいだいている自分に、ようやくのこと気がついたのです。