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【エッセイ】恋の相対性理論

私が24歳のとき、一方的に結婚したいと願った女性がいました。今からもう半世紀も前のことです。彼女は遠い地方の出身で、京都の女子大学に在学していたお姉さんと一緒に、京都市上京区に一軒家を借りて住んでいました。お金持ちだったからこそ、小ぶりながら、家を借りることもできたのでしょう。妹である彼女は、はるばる阪神間にある女子大学に通っていました。19歳でした。
 
彼女とどこで出会ったか。そこには私の親しい友人が関わっています。

その友人は同い年ですが、いくつかの事情で卒業が延び、私より二年遅れての就職でした。私はすでに朝日放送に勤める新人ディレクターで、大阪府茨木市のアパートに部屋を借りて通勤していました。しかし、愛着の念深い京都を去りがたく、新たに北白川で学生下宿の一室を借りて、週末は京都で過ごしていました。

いよいよ友人が東京に向けて引越しする前、私は彼の下宿に行って、荷造りを手伝いました。その合間、休憩を決め込んだ私は、何気なくテーブルの上にあった「住所録」を開いて目を通しました。友人とは、そんな無礼も許し合える親しさだったのです。一人の女性の名前を見て、急に興味に駆り立たれました。小遊里。さゆりと読むのでしょう。とんでもない名前だと思いました。遊里と言えば、徳川時代の性交渉を伴う男たちの遊び場所、遊郭のことです。こんな名前を親が娘つけるとは!その名をつけられた娘は、どんな子なのだろう。その関心を友人に向かって話しました。

友人は荷造りの手を停めて、テーブルにやってきました。
「たしかに変わった名前だよね」
「ガールフレンド?」
と質問すると、
「いや、付き合ってはいない。祇園会館でのダンパで出会って、連絡先を交換しただけで、その後は一度も会ってないね」
「へーえ、どんな子?」
「とてもかわいい子だよ。南沙織によく似た」

南沙織か。

南沙織は「十七歳」というデビュー曲がいきなりヒットした、沖縄出身のアイドル歌手です。「会ってみたいなぁ」と私は言いました。

「いいよ!ぜひ会ってみたら!」そう言って友人は彼女の住所と電話番号をメモ用紙に書き写し、私に差し出しました。
「これは松ちゃんへの、京都の置き土産だ。ぼくの友人だと言って、彼女に連絡するといいよ」彼は私が喜ぶのを見て、とても嬉しそうでした。これは会わなくては。
 
友人が京都を去って2ヵ月ののち、彼女の住居に電話して、頑張って口説き、後日、彼女が阪神間の女子大学から下校するタイミングに合わせて、四条河原町地下の、阪急電車の改札口で待ち合わせしました。

彼女は、南沙織を色白にしたような、小柄でかわいく素敵な女性でした。そのときだけは彼女一人でしたが、それ以降は、二人だけでは会ってくれませんでした。だれか女友達を連れてくるのです。そのことだけで私に対する気持ちが知れました。しかし私の彼女への思いはつのる一方でした。
 
ちょうどそのころ、私はゴールデンの30分のお笑いバラエティー番組のディレクターになるよう指名されました。目標とすべきは、大橋巨泉が司会する「お笑い頭の体操」(TBS)。視聴率30%を超える超人気番組でした。この番組に潜り込んで、作り方を学んで来いとの指示を受けたのです。夏の二か月近く、TBSの近くのホテルに住んで、この番組の制作現場に密着しました。彼女をデートに誘える状況ではなくなりました。

当時、朝日放送は、TBSと同じ系列のネットワークを組んでいたので、「お笑い頭の体操」の居作昌果(いづくりまさみ)プロデューサーはじめ現場のスタッフは、親しい仲間内の意識で、番組制作のノウハウを惜しげもなく教えてくれました。ちなみに居作さんは、これも超人気番組「8時だヨ!全員集合」を作り上げた辣腕プロデューサーでもあります。

大阪に帰って、馬場淑郎プロデューサー、ADさんらとホテルプラザのバー、マルコポーロで飲みながら議論を重ね、10月、司会に野末陳平さんを迎えて「霊感ヤマカン第六感」を立ち上げました。私は最初の一年だけしか関わりませんでしたが、番組は10年も続くヒット番組となりました。ただし「お笑い頭の体操」を凌ぐほどの人気ではありせんでした。
 
11月になって、小遊里さんを京大の11月祭の前夜祭に誘いました。この祭には市民も多く集まってきます。前夜祭と言いながら、模擬店や展覧会、そしていくつものステージ上のイベントは昼間から開催しています。秋日和の午後、彼女は、やはり女性の友人を伴って現れました。

ひとつのステージの上で、出場者を呼び掛けていました。

「これから、コーラ早飲み競争を行います!出場したい方は舞台に上がってください!」

このときの私の判断も早かった。私はすぐさま挙手をし、ステージに上がったのです。もちろん小遊里さんにカッコいいと思ってもらうためです。

私は10人ばかりの出場者とコーラ三本の早飲みを競い合い、そして見事に優勝しました。歓喜のポーズ。賞賛の拍手。いくつもの優勝賞品をもらってステージを降りました。そしてすぐに、小遊里さんに商品をすべてプレゼントしたのです。彼女もとても明るい表情で、嬉しそうでした。

そのステージから右手の方にゆくと、また出場者募集を行っています、

「これから、クイズ大会を行います!出場したい方は舞台に上がってください!」これにも参加しました。ナンセンスなクイズでした。

「山口百恵、桜田淳子、森昌子。この三人娘で、まだ脱いでいないのは誰でしょう?」

出場者たちは戸惑っていたようです。誰も脱いでいないはずだと。しかし私には簡単でした。おもむろに挙手をして、答えたのです。「風呂に入るときは、全員脱ぎます!」

正解でした。この調子で、ここでもまた優勝し、獲得した商品をぜんぶ彼女にプレゼントしたのです。またまた彼女は喜びました。そして弾んだ声でこう言いました。

「もうひとつ勝ったら、三冠王ね!」

残念ながら、もうゲームはありませんでした。三冠王は逃しましたが、夜のキャンプファイアもとても楽しそうで、宴の最後に彼女は弾んだ声で、こう言いました。

「大学生になって、今日がいちばん楽しかった。今日やっと学生になれた気がする」と。
 
私は思いました。好きな女の子のハートを獲得するためなら、コーラ早飲みであろうと、ナンセンスなクイズの出場であろうと、何でもできる。人からアホと呼ばれても、男として誇らしいのだと。この体験が、翌年1975年の夏に「ラブアタック!」という企画を思いつくきっかけになったのでした。まさにこの前夜祭が番組を生んだのです。
 
その日からしばらく経って、彼女は私と二人だけで会うことを許してくれました。そのころ少し流行っていた、カウンター席のお店に行きました。炭火の上に網を乗せて、魚貝類を焼くのです。焼くせいで、少し煙が立ちます。

彼女は長い髪を鼻に近づけて、

「髪に匂いがついたわ」

私は「ごめん」と謝りました。すかさず彼女は言いました。

「大丈夫。髪を洗ったら匂いは落ちるから」

そして彼女は、迫ってくる私に圧力を感じたのか、こんなことを宣言しました。

「じつは、私、ふるさとに彼氏がいるんです」

なるほど、二人で会うのを避けてきたのはそういうわけか。今日二人で会ってくれたのは、彼氏のことを伝えるためだったのか。そう私は理解しました。絶望感が走り、胃が縮まっていくのを感じました。

私は、胃潰瘍になったのです。翌年1月下旬から50日間、入院しました。

2月後半、浅尾克巳という友人から病院に電話がかかってきました。

「きょう小遊里さんを、岡崎公園で見たよ。男と一緒で、じつに楽しそうにしていたぞ。あれが彼氏だと思うな」

なんと心ない友人でしょう。再び絶望感が走り、胃が縮まっていくのを感じました。でも頑張って、予定通り50日で退院の許可をもらえました。
 
春になり、彼女は三回生、早生まれなので、はたちになったばかりでした。退院した私をねぎらおうとしてくれたのか、二人で会ってくれました。レンタカー屋で借りた車で乗り付けると、彼女は驚きの表情を見せました。私は笑って言いました。

「さあこの車で、嵐山ドライブウェイをドライブしましょう!」

数日前、大阪で車の免許を取ったばかりで、京都の道はまったくの素人です。私は気楽に運転していたつもりですが、彼女は危うさを感じていたかも知れません。やがて嵐山ドライブウェイにたどり着き、その道を私は軽快に飛ばします。彼女もきっと気持ちがいいはずだ。そう信じていました。

助手席に座っていた彼女が、遠慮がちに話しかけてきました。

「あのう……」
「はい!気持ちいいですね!」
「私」
「はいっ!」
「もう帰りたいんです」

びっくりしました。何が起きたのかと。彼女は続けました。

「オサムさんといると、時間がなかなか経たないの」

えー!

ぼくと一緒にいると、時間がなかなか経たないのか!

意外であり、ショックでした。しかし、もう絶望感が体を駆け巡ったり、胃が縮まったりすることはありませんでした。逆に「うまいことを言うなぁ」と感心してしまったのです。深い諦念の中で。

私は高校時代の理科の先生の言葉を思い出していました。

「アインシュタインの相対性理論とは何ですか?」という生徒の質問に答えて、理科の先生はこうおっしゃったのです。

「好きな異性と楽しい時間を過ごす。そうすると、時間の経つのが早く感じられる。あっという間に至福の時間が過ぎ去る。嫌なことをしないといけないときには、時間を長く感じるのに。これが相対性理論というもんなんや!」

生徒たちは納得しました。
 
彼女は、ぼくといると、時間がなかなか経たない。これは、ぼくのことを好きでない、と言っているのだ。はっきり言ってもらえてよかった。と私はますます彼女を好きになりました。

「じゃあね、ドライブはもう切り上げて、帰ろうか」

彼女は嬉しそうに頷きました。
「帰る前に、ちょっとだけ喫茶店で、楽しい話しない?」
「そうしましょう!」
と、彼女は請け合ってくれました。なんといい子でしょう。

北白川にある、なじみの素敵な喫茶店で向き合ってしゃべりました。何をしゃべり合っていたかほとんど覚えていません。数少なすぎる2人だけのデートだったのに。2時間は喫茶店にいました。私は一緒にいるだけで嬉しくて、2時間を20分のように短く感じました。その日が最後のデートでした。

ひとつだけ会話を覚えています。「水をあまり飲まないね」と私が言ったときに、彼女はこんな答え方をしました。それを今も忘れられないのです。

「男の人は、女性がお手洗いに行くのを見るのは、イヤでしょう?だから男性と会っているとき、私は、水は飲まないんです」

なんと素敵な女の子だったことでしょう!


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